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1.「住宅支援」打ち切り―区域外避難者の苦悩(吉田千亜 フリーライター)

季刊『社会運動』2018年1月【429号】特集:あれから7年、福島の現実

 原発事故によって失われたものはたくさんある。最近、被害を受けた方にお話を伺っていると、私たちは一つ視点が欠けているのではないか、と思うものがある。それは、奪われた「未来」のことだ。愛着のあった土地やコミュニティや暮らし、過去とのつながりが失われたことには思いが至っても、「未来」が奪われたことに気がつきにくい。それは、私自身も明確に意識できていなかったようにも思う。「未来」が奪われるということは、「未来」を作り直さなくてはならないということなのだ。

 それは、自然災害でも同じではないか、と思う方もいるだろう。しかし、原発事故にはいくつかの特徴がある。まず、「加害」と「被害」の構造がある。国と東京電力によって被害者は苦しめられているという前提のことだ。もう一つは、放射能汚染がある、という事実だ。この二つを大切に考えなくてはならない。

 

周囲の無理解や存在の非承認

 

 2015年6月、福島県は区域外避難者の借上住宅打ち切りを発表した。そして、1年9カ月後の17年3月に借上住宅の打ち切りを行った。約1万2000世帯、およそ3万6000人が対象である。小さい町に丸ごと転居を言い渡す、と言ってもいい規模だった。

 借上住宅は災害救助法により避難者に無償提供されていた。福島県は県全体を対象に各都道府県へ住宅提供の要請を行っていたため、避難指示がなかった区域外避難者にも住宅「だけは」提供されていたのだった。「だけは」というのは、定期的な賠償のない区域外避難者にとって、借上住宅が唯一の経済救済であったからだ。誤解されがちだが、区域外避難者には毎月10万円の慰謝料は支払われていない(注1)。住宅の無償提供がなければ、避難はできなかったし、避難の継続もできなかった、という人たちがたくさんいた。区域外避難者は借上住宅の打ち切りによってその命綱を奪われたのだ。そして、避難した土地での7年で築いた暮らしをも、再び奪われたことになる。

 そもそも、区域外避難者というのはどういう人かを説明しなくてはならない。区域外避難者の中には「説明が面倒だし、理解されないかもしれないから、周囲の人に避難者であることを言わずに生活してきた」という人も少なくない。

 彼ら、彼女らは「国からの避難指示がなかったのに避難をした」と言えば、周囲からの怪訝な、あるいは素朴な「なぜ?」をぶつけられ続けてきたし、いつでもそう問われうることを知っている。国が被害を矮小化したせいで、「ここ(避難先)」にいることの正当性や、救済を要求することの正当性を問われ、自らがそれを説明しなくてはならない状況が続いてきたのだ。それがうまく伝われば良いが、そうではない苦い経験もしてきている。つまり、周囲からの承認が得られないということなのだ。

 これまで私が出会った区域外避難者は、うつ、不安神経症、不眠、めまい、突発性難聴、円形脱毛症、PTSD、持病の悪化など、精神的に追い詰められ、何らかの症状を抱えたことがある人が少なくなかった。避難による劇的な生活環境の変化に加えて、周囲の無理解や存在の非承認によって孤独に追いやられ、苦しんでいた。

 

注1 東京電力から定期的な賠償(月10万円の慰謝料)を受けているのは、自治体や国による避難指示が出された区域に居住していた住民のみ。事故から時を追って避難指示が解除される区域が出てくるが、それに伴って慰謝料も打ち切られてきている。避難指示が出されなかった区域外避難者については、その一部の区域の人には定額賠償という形で、2012年に2度限りのわずかな慰謝料が支払われた。それにも該当しない地域からの区域外避難者には、慰謝料は全くない。

(P.11~P.13記事から抜粋)

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