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7.集団訴訟―新たな「安全神話に抗して―福島原発事故をめぐる訴訟の現状と課題(村田 弘 福島原発かながわ訴訟原告団団長) 

季刊『社会運動』2018年1月【429号】特集:あれから7年、福島の現実

国・東電の責任を明らかにし、賠償を求めること

 

 事故2年後の2013年から全国各地で提起された損害賠償を求める集団訴訟は、現在、北海道から福岡までの20地裁と二つの支部、東京、仙台の2高裁で審理が進められている。

 その多くは、国と東京電力の法的責任を明らかにし、被害の回復を求める民事訴訟である。原告総数は1万2000人を超え、かつて例を見ない規模に達している。

 主な争点は①事故を引き起こした国・東電の法律上の責任、②被害回復に足る賠償、③被ばくによる健康被害の有無などである。

 ①では、直接の引き金となった東日本大震災に伴う津波が予見できたか、対策を取れば事故は回避できたか、②では、侵害された被害者の権利の内容と程度、③では、「年間追加被ばく線量20ミリシーベルト」を基準とした国の避難指示と、指示区域外からの避難の合理性、健康被害の有無などが争われている。

 これまでに前橋(17年3月)、千葉(同9月)、福島(同10月)の三つの地裁で判決が出され、①についてはいずれも津波の襲来は予見できたとし、前橋、福島両判決は国の規制権限不行使を違法として国家賠償責任を認めたが、千葉判決は国の責任を免除した。②については、いずれの判決も「平穏に生活する権利」などの侵害を認めたが、精神的損害に対する賠償額は最高1000万円(千葉)から最低1万円(福島)と低額にとどまった。また③に関しては、いずれも「被ばくに対する不安・危惧は否定できない」として、20ミリシーベルトを基準とした線引きにとらわれず裁判所が個別に被害を判断する、としている。

 

団訴訟で問われているものと今後の課題 

 

 集団訴訟で被害者が共通して求めているのは、煎じ詰めれば①根こそぎ破壊された人々の日常生活、ふるさと(地域社会)、豊かな自然の回復、②数世代にわたって続く放射性物質による健康被害リスクからの解放、の2点に集約されるだろう。そのためには、まず国と東電の責任が明らかにされなければならない。国の責任については、前橋、福島の両地裁が綿密な事実認定を基に法的責任を認めたことは、大きな一歩である。

 しかし、法的責任の裏づけであり、被害回復の手立てであるはずの賠償については、驚くほど低水準にとどまった。国の原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)が示した指針(最小限の目安)を上まわった認定額は、「生活の本拠において生まれ育ち、職業を選択して生業を営み、家族、生活環境、地域コミュニティとの関わりにおいて人格を形成し、幸福を追求していくという人の全人格的な生活が広く含まれる『平穏に生活する権利』は侵害されてはならない」と高らかにうたった福島地裁判決にして最高36万円、最低1万円。前橋判決もそれぞれ350万円、7万円である。国を免罪した千葉判決が1000万円から50万円までの「ふるさと喪失慰謝料」を認めたのは皮肉である。この落差は何か。原発事故の、あまりにも深い被害の実相を捉え切れてない司法の限界と言えるだろう。

 18年3月15日には京都、16日に東京、22日に福島地裁いわき支部で第二波の判決が相次ぐ。京都訴訟(53世帯・144人)、東京訴訟(89世帯・281人)は、原告の大部分が避難指示が出されなかった福島市やいわき市などからの、いわゆる「自主避難者」。子どもの被ばくを避けようと家族と別れて避難した母子家庭が多い。

 ここでは、被ばくの健康影響をどう判断し、「避難の合理性」をどう認めるかと同時に、前橋、福島判決で明らかになった「司法の限界」の壁が破れるかが大きな焦点となる。また、いわき支部での避難者訴訟(187世帯・584人)は、東京電力の責任と被害回復を求める賠償に焦点を絞って立証を進めてきた。それだけに、この点がより一層浮き彫りになる。

 これらは同じく18年7月に結審、年度内判決が想定されている私たち横浜地裁での「かながわ訴訟」など、後続の訴訟に課せられた大きな課題である。

 

(P.116~P.118記事から抜粋)

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