1.福島の再生可能なエネルギー地帯をゆく―会津・土湯・飯舘
電気から始める地域の自立
福島の再生可能エネルギー地帯をゆく
会津・土湯・飯舘
2016年4月から始まった電力自由化。消費者は大手の電力会社だけではなく中小の新電力会社からも電気を買うことが可能になった。経産省のデータ(2019年4月)によると新電力会社のシェアは約9・2パーセント。電源の1位が石炭火力で28パーセント、2位がダムによる水力発電16パーセント、3位が液化天然ガス(LNG)火力8パーセント。再生可能エネルギーは合わせて9パーセントにとどまる。
それでも再生可能エネルギーの収益の一部を地域に還元する「市民地域発電所」が増えている。現在、全国に1028基。特に原発事故による被害が大きかった福島県内では増えていて、全国1位の長野県353基に続いて第2位92基を誇る(気候ネットワークが17年3月に公表した「市民・地域発電所全国調査報告書2016」より)。言うまでもなく福島の人びとがエネルギーについて積極的に考えるようになったのは原発事故の問題がある。「市民地域発電所」は、大手企業のメガソーラー(出力1000キロワット以上の大規模な太陽光発電)のように採算を重視し、自然環境を無視したものではない。いま、福島県に広がる太陽光、水力、地熱などの発電所を紹介する。
会津・喜多方の大和川酒造が
牽引する太陽光発電
蔵とラーメンで知られる福島県喜多方市。市街地から車で10分ほど山を登ると「雄国太陽光発電所」が見えてくる。会津盆地を一望する丘陵地にそびえる、福島で初めてできたメガソーラーだ。合計3740枚の太陽光パネルが山の斜面に設置され、近くで見るとなかなかの壮観。発電所を運営するのは「会津電力株式会社」。地元の有志が集まり、13年8月に誕生した。
雄国太陽光発電所は会津電力(株)最大の発電所で、同社のシンボル的存在。会津電力では出力50キロワット以下の小規模発電所を中心に、現在太陽光発電所が57カ所稼働中。総発電量は4570キロワット(一般家庭の約1370世帯分)。福島県の再生エネルギーを牽引するリーダー的存在となっている。
福島県のような積雪地において太陽光発電は日照時間やパネルに積もる雪の処置が難題だった。雪深い会津地方では死活問題である。しかし研究を重ねて、パネルの角度は30度、パネルを固定するパイプの高さは地面から2・5メートルと決めた。こうすると雪がパネルに残らず、また地面から生える雑草が発電効率を下げるのを防ぐことができることが分かったのだ。
会津電力(株)の社長を務めるのは佐藤彌右衛門さん。寛政2年(1790年)創業という、歴史の長い「大和川酒造」の9代目蔵元である(「彌右衛門」という純米酒は有名)。地元のおいしい水と米を生かした日本酒の製造や販売に忙しくしていた11年の3月、震災と原発事故が起きた。
「もう畑と田んぼは放射能でおしまいかと思ったよ。会津も全村避難か、なんて危機感も持った。幸い放射能の被害からは無事だったけど、その時に目が覚めたね。俺たちのエネルギーは俺たちで作って、エネルギーの自治をしないとダメだと。地酒を作るにしても水は地下水がある。米だって自分たちの回りにある田んぼで作る。だけどエネルギーはどのように調達していたか。酒米の脱穀、精米、ビン詰めのエネルギー(電力)。東北電力の電気を普通に使っていた。そこで反省をして、よそに依存していてはダメだ。再生エネルギーを自分たちで作るべきだと考えて会津電力を設立したのです」
もともと会津には水や食料だけでなく、薪や炭が豊富にあった。日本全体の自給率はカロリーベースでわずか39パーセントだが、会津の食料自給率は桁違いと言われている恵まれた地域。四里四方で実ったものを食べれば生きていける。よそから持ってくる必要は何もない。佐藤さんは地元の力で生きていける暮らしを本格的に目指すようになった。
雄国太陽光発電所の建設費は、およそ3・5億円。市民から1億円近く集まった市民資金と、地元金融機関からの借入金。それに加えて発電所近くに学習型体験施設「雄国大學」を建設する条件で資源エネルギー庁から1億円の補助金を得た。しかし、これだけの投資をして再生可能エネルギーは利益が出るのだろうか。
「12年7月から再生可能エネルギー源を用いて発電された電気を国が定める価格で買い取る制度(固定価格買取制度:FIT)がスタートしたので赤字にはなりません。競争のない事業なんて世の中にそんなにないでしょう。その点はありがたいし、正直忙しくて仕方がないね。ただし最初は雄国太陽光発電所のようなメガソーラーをもっと増やそうと考えていた。ところが買い取り側の東北電力から『もう大型の電力は買えない』と言われてしまいました。『送電線がいっぱいだから』と言うのです。『50キロワット未満の電力なら受け入れます』とのこと」(この真相は132ページ)
14年9月から、会津電力は小規模の発電所を増やすことにした。今後は太陽光発電だけではなく、小水力発電、風力発電、木質バイオマスの事業も手掛けていく予定だ。そうした小規模分散型の発電事業と並行しながら、佐藤さんの「野望」はさらに膨らむ。いや、そもそも3・11を契機にして佐藤さんの中には「大志」が芽生えたのかもしれない。「地元の大規模水力発電を電力会社から取り戻すのが念願だ」と言うのである。
「会津地方のダムを所有しているのは東京電力、Jパワー(電源開発)、東北電力だけど、合計400万キロワットの水力発電所が南会津にあるんだよ。福島県全域の電力需要は、わずか154万キロワット。会津だけなら50万キロワットもあれば、家庭も工場もインフラ維持も十分間に合う。結局は首都圏のための電力だったことが、よく分かるでしょう。みんな京浜工業地帯の戦後の発展に使われたようなものです。だからこれを俺たちの手に取り戻したい。タダでくれとは言わない。売ってほしいの。仮に400万キロワットの電力を地元に戻せば、キロワット当たり10円で売ったとしても3000億円程度の利益が出るはず。会津17市町村の行政予算が1000億円以下だから、水力発電が地元に戻ってきたらすぐに10割自治が可能になる。現在のように中央政府からもらった地方交付税や補助金に頼る生き方というのは、国から自立を妨げられて生きてるようなもの。だからまずはエネルギーを取り戻したい。電気も食料も地元で作って、余分に生産できたら、おすそわけで外に売ればいい。地域の自立が第一ですよ」
「すべては未来の子供たちのために」。会津電力のパンフレットの表紙には、そう書いてある。次第にスケールを広げていく佐藤さんの話しぶりは、故郷を愛して夢を見る理想主義者としての部分と、会社経営者としての真顔の部分とが交互に見え、とても魅力的だった。雄国太陽光発電所を後にする頃は、すっかり夕暮れ時。山間部に静かに立つソーラーパネルも、眼下にそびえる会津盆地も丸ごと包んでしまうような真っ赤な夕陽に見とれながら現地を後にした。
ちなみに東北電力は16年春になって、「青森、秋田、岩手の北東北3県については再生エネルギーを受け入れる空き容量はゼロ」という通達を出した。ところが京都大学の研究グループが調べてみると、実際には容量の2〜18パーセントしか使われていないことが判明している。真相は、先着順に契約している発電設備がもしもフル稼働したとして計算しているためらしい。つまりは現在停止している原発や未完成の原発の発電量も勘定に含めており、だから再生エネルギー分はゼロという試算なのだ。再生可能エネルギーの普及を阻止したいという電力会社の意図が透けて見える。
(P.126からP.132記事から抜粋)