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お父さんがキリンや帽子になる理由(韓国語翻訳家・ライター 斎藤真理子)

季刊『社会運動』2018年4月【430号】特集:改憲・戦争に反対する12の理由

 

 先回、沖縄生まれの息子が保育園のとき、「がんばる」と「がまん」という単語を知らなかったことを書いた。

 東京へ来て一週間でそれを身につけたことも書いた。

 ところがですね。

 「がんばる」と「がまん」をいちばん息子に押しつけたのは私なんだそうですよ。本人が、そう言うんですよ。口にはしなかっただけで、心の中では押しつけていただろって、言うんですよ。ムッとしました。だって私は極力この二語を言わないようにして(あるいは、言い換えて)善処してきたのに(と、思うのに)。

そこで私は、「息子がこんなこと言うんだよおおおおお」と、友人たちに愚痴を言いまくった。すると皆さん口をそろえて「そりゃそうだろうよ」と言う。さらに口をそろえて、「あんた、お父さんとお母さんの両方やろうとして無理してきたからさ、そうなるんだよ」とおっしゃるのである。それでさらにカッとしたのだが、まあ、図星をさされると人間は怒るのである。

 ムッとしてカッとした自分の顔を見てみたら、息子に反発されてムッ&カッとしている昭和50年代ぐらいの親父そのものであった。いやだなあ。しかし、この25年間、私がきわめて親父ライクな母であったというのは、認めたくないけど事実らしい。それも昭和のお父さんみたいな仕事漬けの。

 

リストラを隠し「出勤」する人たちを勇気づけるために作家となる

 

 振り返れば、昭和のお父さんたちの「父親の権威」はどんどん低下していったのに比べ、韓国のお父さんはずっと偉いままだったと思う。1990年に私が留学していたころ、「いやー、俺なんかさっぱり尊敬されてないよ」と言うお父さんたちに何人も会ったけれど、具体的に聞いてみるとやっぱりお父さんの意見が絶対的で、家父長戦線異状なしという印象だった。その代わり、父の責任は、とくに一族の長男だったりすると大変重かったわけだが。

 それが、ここ10年、20年で変化が起きている。それに拍車をかけたのが、1997年に起きたIMF危機(アジア通貨危機)だ。この年に韓国は深刻な経済危機に陥り、経済主権をIMF(国際通貨基金)に委ねた。財閥が解体され、倒産が相次ぎ、大規模なリストラが実行され、自殺者も絶えなかった。まさに一国の足腰が一瞬にして萎えてしまうような体験だったわけだ。そして、多くのお父さんたちの足腰もそのとき萎えてしまったのである。IMF危機以降、お父さんのことを話すとき敬語を使わない若者が増えたと思う、という意見を最近聞いた。

 韓国でとても人気のある男性作家、パク・ミンギュは当時、若いサラリーマンだった。彼自身はリストラされなかったが、会社の隣にある公園には毎日、リストラされたことを家族に言えず、カバンを持って毎日そこに「出勤」してくるお父さんたちがいっぱいいたという。これは当時、韓国じゅうで見られた光景だ。パク・ミンギュはそれを毎日窓から眺めているうちに、「あの人たちを勇気づけられるような物語を書きたい」と思うようになり、わざわざ会社をやめて作家になってしまったというのだから、なかなかすごい人ではある。

 (P.202~P.204記事から抜粋)

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