1.見守りとサポートがあれば、自分らしい住まい方はもっと拡がる(社会福祉法人いきいき福祉会理事長 小川 泰子)
高齢者施設は、あまりに選択肢が少ない
─2003年9月に「サポートハウス和」(54ページ参照)を開設されましたが、その理由は何でしょうか。
私が特別養護老人ホーム(114ページ参照)の「ラポール藤沢」の施設長をしていた頃、まだ介護保険制度が始まって間もない時期でした。ラポール藤沢では通所介護(デイサービス)を提供していますが、デイの利用者でいつも粋に着物を着て来る女性がいました。ところが、その方のそばに行くといつも尿臭がするので「変だな」と思い、デイサービスの職員にその方の事情を尋ねました。その職員は、「デイサービスの送迎でアパートへ伺ったら、その方の部屋は荒れた状態で、家族はいるけれどあまり行き来していない。大家さんは一刻も早く退去してもらいたいと思っている。もしも火事のようなことがあったら大変だと思われているのでしょう」と言うのです。
いまにして思えば、その方には認知症の症状が出ていたと思いますが、シャキッとした着物姿の印象が強い方だっただけに大変なショックを受けました。すると、その話をした職員から、「デイの利用者の中には、意外とそんな人が多いんです。待機で特養には入れない。高額な有料老人ホーム(117ページ参照)にもとても行けない。行くところがないから、家族に虐待されても同居のままか、一人で住むしかない人がいるんです」と言われてしまいました。
高齢者が施設に入る時の選択肢は、入居金と毎月20万円以上はかかる有料老人ホームか、重い介護度のための特別養護老人ホームか、介護老人保健施設(120ページ参照)か。その施設さえも入所待ち。あまりにも選択肢が少ないことに愕然とし、社会福祉法人が経営するアパートがあってもいいと思ったのが、サポートハウス和を始めた動機です。
─サポートハウス和には、どのような方が入居しているのですか。
開設当時から、高齢者だけでなく、障がいのある方、母子家庭、DV被害者など、条件を設けずに広く呼びかけました。私は職員に対して、「ここは普通のアパートだから介護施設ではない。手を出しすぎたり、ケアしすぎないようにしてください」と何度も言いきかせました。
例えば母子家庭の親子が住んでいた時のことです。既存の母子寮(注1)では、子どもの自由が制限されるからと、そこを出て、母親はサポートハウス和でケアの仕事をすることになりました。結果として、子どもと一緒に住みながら仕事もできる環境を作ることができました。
ここは既存にはない施設なので、外部の方になかなか分かってもらえないこともあり、空き室があった時期は、平塚市の福祉課へ相談に行きました。幸い、担当者が理解のある方で、生活困窮の担当課にもつないでもらえたことで、以後は平塚市からの紹介がずいぶん増えました。いまは、常に満室です。市からは「もっと入居者数を増やすために賃貸物件を借りてほしい」とまで言われますが、スタッフ数からいって、いまの全27室が限界です。
注1 1998年より「母子寮」から「母子生活支援施設」に名称変更。18歳未満の子どもを養育している母子家庭、または何らかの事情で離婚の届け出ができないなど、母子家庭に準じる家庭の女性が、子どもと一緒に利用できる施設。厚生労働省による設置。
(P.9~P.11記事から抜粋)