02:シェアリングエコノミーと互酬の世界の仕組み(フリーライター 鶴見 済)
互酬の世界は、かつての日本社会にたくさんありそしていまも機能している
─もう一つの、「互酬の世界」とはどのようなものでしょうか。
ポランニー(注)という経済人類学者が20世紀前半に「人間の経済のまとまり方の形は『互酬』『再分配』『市場交換』の三つがある」と言っていました。①こちら側とそちら側の人がお互いにやり取りする互酬、②グループの中心に財や富を集めていって、中心からまんべんなく分配し直す再分配、③市場で売り買いする市場交換の三つです。
この互酬の一部分が「贈与と返礼」です。"お互い様"というやり取りの一部で、しかも単にモノをあげるだけではなくて、相手からお返しが来ることを前提に成り立っているのが贈与と返礼です。
日本では海と山で、お互いが採れないモノを定期的に与えあったりしました。いまの私たちの暮らしでも、お裾分け、お土産、持ち寄りといった形で残っています。そして、「贈与するのは"モノ"だけではなく、形のない力や世話を与えるのも贈与」とも考えられる。ですから贈与は返礼があって成り立ってきたと知れば資本主義の前は贈与経済だったなどという、にわかには納得しがたい言い方も理解しやすいと思います。
いまの経済は、この三つのなかの市場交換の部分がものすごく大きくなって、互酬や再分配の部分が小さくなってしまったと思います。部族社会のころから行われていた再分配は、富の偏りを正す機能を持つ手段で、それを取り仕切るのが政治でした。
以前は、「貨幣の出現前は物々交換だった」と一般的に言われていました。でも、具体的に考えてみると物々交換が成立するのは、奇跡的なタイミングでしかありません。それに、そういった社会があった跡も見つかっていません。だから、「物々交換の時代はなかった。推論だったのだろう」と言われています。「物々交換の代わりにあったのは貸し借り」だという説があります。それは、時間差のある物々交換です。「いま持っているモノをあげるよ。だから、お前が持っていて、オレが持ってない時はくれよな」という感じの貸し借りだったとすれば、腑に落ちます。それは、贈与と返礼の関係と似ています。
また、ポランニーは「貨幣の登場は、必ずしも資本主義に一直線に向かうのではない」と言っています。私は、貨幣経済と資本主義は区別したいと思っています。資本主義とは、利潤追求(お金もうけ)のために動いていると、私は定義をしています。
貨幣経済では、貨幣の登場から資本主義社会が成立するまで何世紀も隔たりがあり、貨幣が一旦登場した後ですたれてしまい、絹や米を貨幣の代用として物々交換がまた始まることもありました。それに、「市」「市場」や地域の商店街でのやり取りのような肯定したいお金の経済もあるので、貨幣経済と資本主義の違いを強調しておきたいと思います。
(P.28~P.30記事から抜粋)