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未来の世代と一緒に歩む平和の少女像 (京畿広州未来の世代と一緒に歩む平和の少女像推進委員会 張 建)

季刊『社会運動』2019年10月号【436号】特集:「平和の少女像」が示す希望 韓国と日本の歴史を直視する

広州での建設運動の経過


 広州での平和の少女像建設運動の始まりは2017年に遡る。同年2月、広州にある「ナヌムの家」(編注1)で元日本軍「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちをサポートしていた女子青少年ボランティアの魏佳賢さんが、大人たちに平和の少女像の建立を要請した。というのは、広州市には日本軍性奴隷制の被害者であるハルモニたちが住んでいるにもかかわらず、ほとんどの地域に建てられている平和の少女像がない現実を惜しんだからだ。その要請を受け、地域の有志と市民団体らが、発起人を集め、組織を構成し、本格的に平和の少女像建設運動を始めることになったのだ。こうした経緯で、青少年たちと大人たちが一緒に共同推進委員会(初代推進委員長:韓沂錫/青少年代表:魏佳賢、嚴守彬、朴勁美)を立ち上げ、公式ネームも「未来の世代と一緒に歩む平和の少女像推進委員会」(略称「ミソチュ(未少推)」)と決められた。それだけ青少年たちの役割が大きかったのである。
 ミソチュは17年2月25日に、「ナヌムの家」で発足式を行い、平和の少女像の建設に向けて本格的に広州市民社会の中に飛び込んだ。建設推進委員の拡大のために、金徳任広報チーム長を中心に、街頭キャンペーン、募金活動、一日カフェ、人権映画祭、手作りマーケットを開催するなど、青少年たちと市民団体は様々な活動を通して力を合わせて街中を歩き回った。ところが、建設運動に危機が訪れた。推進委員の確保と街頭での募金活動を通じて、市民の力で建設費を集めようとしたものの、計画通りの資金が集まらなかったからだ。その上、推進委員たちの間で起きた意見の不一致と、18年6月の地方選挙などにより、停滞期を迎えたのである。しかも、残念ながら、平和の少女像建設運動に尽力した初期執行部が7月に突然、途中で辞任を発表したのだった。
 18年8月30日に新たに発足した第2期「ミソチュ」(第2代推進委員長:張建/青少年代表:林俊成)は、生協運動、市民運動、そして地域財団運動を率いてきた委員長を中心に組織を再整備、新しい執行部(執行委員長:邊夏三)を構成した。平和の少女像制作に必要な5000万ウォンの募金集めに拍車をかけ、19年3月1日、三・一節100周年という歴史的な日に、少女像の除幕式を行うまで滞りなく進めることができた。この成果は広州地域社会に大きな感動を与える出来事となった。
 平和の少女像の除幕式を最後に張建常任代表が退き、現在は、募金委員長だった尹一鈞代表がミソチュを率いている。尹一鈞代表は、広州市庁広場に一時的に設置された平和の少女像を一日も早く市民が望む場所に立てられるよう、市民の声を広州市長と地域の政治家たちへ強く訴えた。また、「国際女性デー」を迎えた3月8日には、女性人権団体の「広州女性連帯」が平和の少女像の前で記念行事を行い、日本軍の性奴隷制の被害者であるハルモニたちを労った上で、平和の少女像が一日も早く市民たちの望む場所に建てられ、未来を担う若者たちへの基本的人権と平和の大切さを思い起こす歴史教育の場になることを促した。
4月11日に、平和の少女像は、広州市の公共造形物審議を通過し、正式に広州市の公共の場に設置されることが決まった。設置場所と時期についてミソチュと協議中である。移転が予想される場所として、広州市の文化芸術の殿堂がある南漢山城アートホール広場が一番有力とされており、平和の少女像の移転除幕式は日本軍「慰安婦」被害者をたたえる日である8月14日を予定している(編注2、3)。

 

広州市民社会を変えた建設運動
 
 広州平和の少女像建設推進運動は、都市と農村の複合地域であり保守性向が強い広州地域社会や政治、市民団体に大きな変化をもたらした。官や政党が主導する事業ではなく、純粋な市民、民間団体の自発的な参加を導き出した市民運動として大きな足跡を残すことができたからだ。政治や理念などは排除し、純粋な市民運動を標榜したミソチュの志が最後まで貫かれたのである。
 また、青少年が大人の付け足しではなく、平和の少女像建設運動の主体として一緒に活動したことは大きな成果であった。第1期青少年共同推進委員長はもちろん、第2期青少年代表、そして街中で建設運動を展開した広州地域の青少年たちの活躍は実に素晴らしいものだった。全国100カ所以上の自治体で平和の少女像が建てられているのに、広州にはないと問題提起した女子学生も、他でもない若者だった。広州市民は未来世代である青少年たちに大きな借りを作ったともいえる。
 広州市民の成熟した参加も輝かしいものだった。平和の少女像を通じて、日本軍性奴隷制の被害者であるハルモニたちの痛みに共感しようとする市民の歴史認識は感動そのものであった。平和の少女像建設のために喜んで署名や寄付をしてくれた市民たち、そしてお母さんと手をつないだ小さな手で募金箱に小銭を入れる子どもや、韓国で働く外国人労働者など、積極的に協力する姿の中に、市民の成熟した人権意識を再確認できたのは、広州市の大きな資産になるに違いない。
(P.12~P.13記事抜粋)

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