生活クラブグループ
市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

日本の戦後処理と植民地支配責任 (同志社大学社会学部教授 板垣 竜太)

季刊『社会運動』2019年10月号【436号】特集:「平和の少女像」が示す希望 韓国と日本の歴史を直視する

植民地支配責任を追及する潮流
 
─韓国や世界では、植民地支配責任はどのように議論されてきたのでしょうか。
 戦後、様々な動きがありましたが、今日に直接つながる1990年代に限定して話します。韓国では、1965年の日韓条約締結時は軍事独裁政権でした。屈辱的な条約に反対する大きな運動が起きましたが、力でつぶされました。転機となったのは民主化です。87年に民主化宣言がされ、大統領の直接選挙制が実現しました。90年代に軍人ではなく民間人出身の大統領が出てきて、冷戦下の現代史や植民地の歴史など、独裁政権では議論できなかった事実が次々と明らかになってきました。その真相究明事業が最も進んだのが、民主化運動の中から出てきた金大中大統領や盧武鉉大統領の時代です。
 その背景には、間違いなく「脱冷戦」があります。1990年代は韓国だけではなく、各国で権威主義的な政権が崩壊していった時期にあたり、それを受けて、冷戦時代に起きた不正義や隠蔽を正そうとする取り組みが拡大しました。そうした気運のもと、韓国では歴史を清算する運動がいろいろな分野で始まるようになりました。日韓の問題だけではなく、朝鮮戦争前後やベトナム戦争派兵における加害、軍事政権下での民主化運動の鎮圧過程で起きた問題も含めて、過去の問題をもう一度捉えなおそうとしてきたのです。日本軍「慰安婦」問題や戦時強制動員の問題など、日韓条約体制下で置き去りにされた被害当事者個々人が次々に声を上げはじめたのは、そうした状況においてです。
 この1990年代は、戦時性暴力の問題が国際的にも注目されました。冷戦終結とともに世界各地で民族紛争が起きて、民間人に対する戦時性暴力問題が重要視されるようになったのです。ここで、日本軍「慰安婦」問題と現代の戦時性暴力の解決の在り方が交錯して議論されるようになっていきました。被害者の人権を守り、「憎悪の連鎖」を食い止めるためにも、加害者の法的責任を追及することが必要だというコンセンサスができていきました。当事者が名乗りを上げた日本軍「慰安婦」問題の運動は、世界的にも注目され、国連を中心に、"日本政府が法的責任を認めるべきだ"という流れに合流しました。そのため"法的責任の追及を求める国際社会"と、"それを否認する日本"といった構図ができあがっていったのです。
 この構図は現在にも続いています。2015年の日本軍「慰安婦」合意に関しても、人権条約機関の女性差別撤廃委員会や拷問禁止委員会では"日本政府は被害者中心のアプローチを取らなかった"、"日韓合意は見直すべきだ"と勧告されました。これが人権に関する現在の国際的なスタンダードなのですが、日本政府は"我々には落ち度がない"と抗弁して、真摯に取り組むことはありません。それでいて、よく韓国に"国際法を守らない"などと言えたものです。
(P.33~P.34記事抜粋)

インターネット購入