誰も助けてくれない社会になる(『社会運動』編集長 白井和宏)
季刊『社会運動』2020年10月【440号】特集:コロナ下におけるマイノリティ -子ども、生活困窮者、障がい者、外国人-
権力者には感謝しよう!
権力者には「気を遣え、忖度すべし」という主張がまかり通っている。
安倍首相の辞任を表明した直後には、「首相に感謝し、お疲れ様とお伝えしよう」との声が芸能人・著名人から湧きあがった。
逆に「安倍首相の辞任後もこの間の不祥事を追求すべき」という意見はバッシングを浴びた。「人間として敬意をもって接すべき」という主張はもっともらしく聞こえる。だが日本では権力者には適応されても、弱者には適応されないルールだ。
2018年7月、杉田水脈・衆議院議員が「生産性がない(子どもを生まない)LGBTのカップルへの行政支援は度が過ぎる」と主張したが、マイノリティや弱者の存在を否定する風潮は強まる一方である。
「生産性のない人は捨てられる」
それが国会の議論に?
2016年7月には、神奈川県にある知的障がい者の福祉施設で元職員による大量殺人が起きた。犯人は、「いまの日本に生産能力のない人間を支える余裕はない。社会の賛同を得られると思った」と語っている。
2019年11月には、元厚生労働省の医系技官らが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性に薬物を投与して殺害した。
彼は、「高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべき」とネットに投稿していた。
さらに驚くことに、この事件の後、日本維新の会代表・松井一郎大阪市長が「尊厳死について真正面から受け止め国会で議論しましょう」とツイートしたことである。
また、2020年6月には、生活保護費の10パーセント引き下げに対して、取り消しを求めた訴訟の判決が下された(名古屋地裁)。
「引き下げは、生存権を保障する憲法に違反する」という原告の主張に対して、裁判長は「国民感情や国の財政事情を踏まえたもの」であると棄却した。
「国民感情」が理由になるなら法治国家ではないし、「国(行政)の財政事業」を司法が忖度するなら三権分立は崩壊していると言えよう。
今日は人の上、明日は我が身
そして自分で解決せよ
日本人はいじめや痴漢でも被害者を責める。コロナ禍も同様だ。この非常時にあって最初に生活に行き詰まったのは、家賃を払えず生活保護の申請も拒否された人びと、虐待を受け路頭をさまよう少女たち、仕事を失った外国人労働者たちである。
果たして、彼ら彼女らに降りかかった災難は他人事だろうか?
菅首相は、「国の基本は『自助・共助・公助』」であると宣言した。「まずは自分で解決せよ、家族や地域社会に頼れ。国を頼るのは最後だ」というわけだ。
マイノリティや弱者の状況は決して他人事ではない。
誰でも、いつ地震や洪水の被害者、身よりのない高齢者や病人、生活困窮者になるかわからない時代だ。誰も助けてくれない冷たい社会が到来しつつある。
(p.4-P.5 記事全文)