7.essay②現代を生きるアイヌがコロナという疫病を考えてみた(アイヌアートプロジェクト代表 結城幸司)
季刊『社会運動』2020年10月【440号】特集:コロナ下におけるマイノリティ -子ども、生活困窮者、障がい者、外国人-
現代を生きるアイヌが
コロナという疫病を考えてみた
マスク、マスク、マスク……!
町を眺めていると、今では、してない人を見つけるほうが珍しいくらいの世界が怯えるコロナ禍。
現代を生きるアイヌの私もマスクだ。
コロナは、お金持ちも権力者も、ヘイトスピーチをする者も受ける者も、ある意味、平等にかかる力だなと考えた時に、かつてのアイヌたちはどう考えたのか? と疑問を感じたのです。
アイヌたちの基本的な考え方は
アイヌ= 人間の世界があり
カムイ= 神々の世界があると考える
祈りの場を作りそこで火を焚いて
カムイの世界に言葉を届けてもらう
火の神様は、人間創成から私たちの側に居て、人間の言葉を理解して神々への通訳者になってくださるとされていて、そのカムイ=火の神様の名をアペフチカムイと言い、火のお婆さんの神様だと信じられて、お婆さん故に優しく平等な神様だと伝えられてきた。ゆえに信頼し礼節を守り神々に話しかけ人間としての約束を守れば、山の神様であれ、川の神様であれ、やはり平等に恵みをくださるという。
今回のコロナでかつての疫病に対するアイヌの考え方を調べてみることにした。
カムイノミ=神々への祈りを任されることが多くなった私は、正義心を持ったような気になり、魔払いの儀式があるならばしてやろうと考えたのだ。
軽いノリで調べ始めたのだが、深く考えるきっかけをもらった。
2019年に直木賞を得た川越宗一氏の『熱源』も、北海道に強制移住された樺太アイヌたちが疫病にかかることが序章となっているように、今回のような疫病が、アイヌモシリに暮らしていたアイヌの人口を減らす一つのきっかけともなっていたのだ。
言うまでもなく、アイヌは北は樺太や千島列島にも暮らしていた日本列島の北方先住民族である。北海道地名の約八割がアイヌ語から漢字変換され、今も残っている。
疫病にまつわるアイヌ語の地名も残っている。
例えば、「トコタン」という地名が道内にいくつもあり、「トゥ(失う)・コタン(村)」という意味で、かつて疫病で廃村になったことを伝える地名とも言われている。もっとも、同じような音で「ト(沼)・コタン(村)」という意味の村もあり、また、長い歴史の中では、一つの村にこの二つの意味が重なり当てはまる場合もあったのではないだろうか。
私の生まれた釧路の外れ、釧路湿原にはキラコタン(「キラ(逃げる)・コタン.(村)」)という地名があるが、それはかつて、その村からアイヌたちが逃げたとされている。つまり疫病が流行った時にアイヌは、村を捨て山に逃げて行ったのだ。
アイヌは土地の所有観念を持たない、大地自体がカムイであるからだ。
そしてその疫病は魔神であり、やはり力の強いカムイであるから、アイヌたちは、その場を離れて難を逃れたと言われている。
それを避けるためのカムイノミが無かった訳ではなさそうだが、あるアイヌの先輩から聞いたところ、その祈りをした長老の家族は、コタンから居なくなり離散したと……。
この新型コロナという疫病に向き合い、祈りで退散を願うならば、それなりの覚悟が必要となるし、やり方を間違えるわけにはいかない。調べていくうちに、自分の軽さを恥じました。
ユカラ(神話)も探ってみたら、やはりありました。
かつて、そういった疫病があるコタンを襲う予兆を、自然の中から読み取ったアイヌが面白くないユカラを語り、みすぼらしい供物を疫病の魔神に差し出し、貧しいコタンなんで来ないでくれと追い払ったと語られていました。
でもアイヌの言い伝えの中には、こんな考え方もあります。
魔神に着き纏われた時にその魔神魔物の正体を知ればその力は、削がれると。
1日も早い魔物の正体をあかし、そして人間がさらに強くなることが先決かも知れませんね。
逃げることも守ること……、そう教わったのかもと心に刻みました。
皆さんの元にけして魔神が行かないように、祈念しています
一日も早い平和な日常を!
(p.56-P.59 記事抜粋)