16. essay③腹を据える(分筆業 栗田隆子)
季刊『社会運動』2020年10月【440号】特集:コロナ下におけるマイノリティ -子ども、生活困窮者、障がい者、外国人-
もともと鬱で体調が思わしくなく、3月から始めた通勤時間がフレックスなデータ入力の業務委託の仕事が、4月6日の緊急事態宣言から自宅待機となり、そののち「通勤させてデータ入力させる仕事そのものがコロナで危険」という判断で仕事そのものが消滅し、雇い止めとなった。
コロナは大きな出来事だが、私の場合もともと、非正規労働者で鬱で独身で女性でと不安定要素が山積みである。コロナは確かにそのような層を直撃したと言える。だが、それが少なくとも私においては打撃になったかと言われると正直まだよくわからない。あまりの打撃だったから打撃を感じようとしていないのかもしれないし、あるいは非正規で鬱で独身で女性というどちらかと言えば負の要素の多い自分が今更一つや二つ負の要素が出てきても驚けない、ということだったのかもしれない。
もし私が心身丈夫であればコロナにより人手不足となった「エッセンシャルワーカー」─スーパーやコンビニのレジや、物流の仕事─に就くこともできたかもしれないが、特に4?5月の時期、ツイッターなどSNSではレジの仕事に就いている人たちの悲鳴のような叫びを読めば、ただでさえ鬱の私がこのような仕事に就くのは不可能だと思った。イライラして店員に八つ当たりする客や、トイレットペーパーやマスクが売り切れていることを責める客などに真正面から向き合うのが、決して高い賃金で雇われているわけではない「エッセンシャルワーカー」だったのだ。
私はそのような悲鳴をネット越しで読みながら、スーパーに行く頻度をなるべく減らし、店員さんにはなるたけ丁寧に接しつつ、私自身はどう生きるかを考えたとき、「腹を据える」という感覚が生まれた。とにかく生きていこう、と。具体的には生活保護を利用し、そして障害年金の受給申請を出してみよう、しばらく非正規の仕事を休むと決めたのだ。
実は私は以前に一度生活保護を利用したことがある。生保を「卒業」出来た時は解放感があり、また役所であのやりとりをするのか、と思うと決して気が軽くはなかったが、コロナで仕事の求人の数も減っている今、行動するなら早い方がいいと思い、ほぼ仕事が無くなったと同時に役所に駆け込み手続きをした。生保は手続きの仕方をある程度わかっていたが。障害者手帳と障害年金の申請は初めての経験で、変な言い方だが「挑戦」だった。
私は関西にいた頃何度か「私の症状の治らなさは障害のレベルではないだろうか?」と病院の医師に尋ねたのだが、「あなたのレベルではダメだ」と言われ、障害者手帳や年金の申請には至らなかった。関西から引っ越し新たに通い始めた医者は診断書を書いてくれた。精神障害者手帳の申請は今通っている医者の診断書だけでOKだが、障害年金の申請に必要な情報や書類は多い。初診日の確定と、医者の診断書、そして自分の今までの病気の状況を長い巻物のような書類に何ページにも渡って書き込む必要がある。
改めて自分の過去─家事ができない、楽しいと昔思っていたことができない、やれると思うことができない、仕事が続けられない─そんな状況を自分で書いているうちに、自分の今を引き受けるしか生きていく道はないと思えてきた。今の自分のできないことを見て落ち込む前に─これも落ち込みたくない防御かもしれないが─腹が据わってしまったのである。
ちなみに、この障害年金申請書類は、結局自分で仕上げたのだが、あまりに長い書類なので、自分で書けない人は代筆者に依頼していいことになっている。大抵家族や場合によっては社労士等が書くそうだが、頼む人もいない私は自分で書くことになった。こんな長い文章が自分で書けてしまったら、障害者と認定されないのではないかと思ったくらいだ。正直、ある程度の心のパワーや余裕がなければ申請にまで達せないと感じてしまう。役所や年金事務所に行くだけでも体調的にハードルが高い場合があるのに、書類を準備するハードルはさらに高い。これはなんとかならんものかと改めて思う。
結果、私は障害年金2級という結果だった。
「結構重いじゃないの」と思った。そして、自分が障害者であると伝えることで、今後私の発言や書くことを軽んじる人が現れるだろうなと思った。それは運動の中でさえよく見てきたことだ。何かその場にそぐわないとみなされる発言をして、その相手のメンタルの調子が悪いとわかれば「あの人、今調子悪いから…」ということであしらわれる。そんなやりとりをいっぱい見てきた。そしてそれらになかなか異議を唱えられなかった自分が今の自分に迫ってくる…。
ともあれ社会運動に関わる私の友人知人はコロナに関する相談等で手一杯である。私は相談を受ける前に、私もまた「困ってる人」になったので、運動はほぼほぼ引退状態である。今はただ自分が「生きること」に取り組み、自分の状況をただ腹を据えて受け入れることが私の「社会運動」となっている。
(p.126-P.129 記事全文)