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小池都知事は、結果的にヘイトを煽り
虐殺の歴史をないがしろにした

 

 2016年に施行されたヘイトスピーチ解消法では「不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのまま看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない」としたうえで、国や地方公共団体が率先して差別解消に努めるよう求めている。にもかかわらず、行政や政治家が外国人、外国籍住民に対する偏見を野放しとするどころか、ときに差別の旗振り役を務めるのは、法の精神に真っ向から反しているといってもよいだろう。
 そうした意味では都知事選で366万票を集めて再選された小池百合子氏にこそ、私は本当の「恐怖」を感じるのだ。
 これまで私が小池氏に対して言及してきたのは、毎年、東京都墨田区の横網町公園で営まれてきた関東大震災時の朝鮮人虐殺犠牲者の追悼式典に、17年以降、追悼文送付を取りやめたという問題である。70年代から歴代都知事が送付してきた追悼文の送付(「三国人発言」なる差別発言で知られる元知事の石原慎太郎氏でさえ送付してきた!)は、小池氏によって断ち切られた。小池氏はこれまで送付取りやめについて次のように述べてきた。
 「(関東大震災という)大きな災害があり、それに付随した形で、国籍を問わずお亡くなりになった」
 「関東大震災で亡くなったすべての方々に哀悼の意を表したい。特別な形での追悼文を提出するということは控えさせていただく」
 震災の被害者を追悼するのは当然だ。一方、虐殺の犠牲者は「震災の被害者」ではない。震災を生き延びたにもかかわらず、人の手によって殺められた人々だ。まるで事情が違う。「すべての方々」というのは、なんとも粗雑な括り方ではないか。
 9月1日、横網町公園で行われた朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典では、今年も小池氏の追悼文が読み上げられることはなかった。小池氏は「虐殺死」を4年連続無視したのである。同追悼式の宮川泰彦・実行委員長は「大震災の際、流言飛語を信じた自警団や軍隊、警察により朝鮮人や中国人が虐殺された。この消しようのない事実を忘れさせようという動きがある。数多くの尊い命が奪われたことを忘れてはならない」とあいさつした。
 一方、今年もまた、追悼式典の会場から約20メートルの至近距離で、ヘイト団体による独自の“慰霊祭”も開催された。会場には「謝罪不要」「六千人虐殺も嘘 徴用工強制連行も嘘」と記された幟旗やプラカードが立ち並び、参加者らは朝鮮人虐殺否定のメッセージを発信した。
 出席者の多くはヘイトデモ・街宣の常連者である。根っからのレイシストであることは間違いない。
だが、こうした集会を許容し、放置してきたのはいったい誰なのか。
 小池氏をトップに据える東京都である。しかもヘイト集団は、小池氏が追悼文送付の中止を決めた17年から、まるで歩調を合わせるかのようにヘイトまみれの慰霊祭を開催してきたのだ。いや、そもそも小池氏が追悼文送付中止を決めたのは、ヘイト集団のロビーイングが影響したとの説もある。
 いずれにせよ、小池氏は結果的にヘイトを煽り、虐殺の歴史をないがしろにした。
 97年前の風景を想像せずにはいられない。関東大震災では、差別と偏見、デマによって、多くの朝鮮人が殺された。いまなお自然災害が起きるたびに、外国人を危険視する書き込みがネットにあふれる。コロナ禍のなかであらたな外国人差別も生まれている。
 ウイルスも、そして差別も、世の中のもっとも脆弱な部分に襲いかかる。
 “ポストコロナ”をさらに荒んだ時代としないためにも、いま、私たちにできるのは、理不尽な差別を断固として拒否することではないのか。たとえウイルスに勝ったとしても、どこかに犠牲を求める社会となってしまえば未来は暗い。
 差別と排他の向こう側にあるのは─殺戮と戦争でしかないのだから。

(p.149-P.151 記事抜粋)

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