子どもの貧困 その構造(千葉明徳短期大学教授 山野 良一)
家族に福祉をまかせる悲劇
― 問題の根源は日本人の中にある
「家」中心の意識にもあるのですね。
「家」という意識は日本人の中に、まだまだ根強くあると思います。日本では、「子どもにも個人としての権利がある」という考え方が浸透していませんし、「親が貧困なら子どもが我慢するのは当たり前」という考え方は、子どもの権利に反しているということもなかなか伝わりません。まず、子どもを個人として見る視点を持たなければいけないと思います。
日本の生活保護の考え方は「家」を中心にしたものです。ですから生活保護の受給者に対しては、「子どもが高校を卒業して18歳を過ぎたら親の面倒を見るのは当たり前」と指導をするわけです。また法律上も、親の扶養に対する考え方が遅れています。ヨーロッパでは18歳を過ぎた子どもに親の扶養を求めません。愛情があって扶養する分には構わないけれど、それを社会としては求めない。私は民法の扶養の考え方を見直して、社会的な視点で確立する時代に来ていると思います(注4)。最近、「ヤングケアラー」という言葉を耳にします。10代や20代前半で家族の面倒を見る人たちのことで、社会がそれを要求しているのです。経済的に大変な若者は、それまでの親の生活の大変さを目の当たりにして何とか援助したいと思っています。親の扶養を背負ってしまうのです。また、今の制度では貧困な親たちは低所得だったり、国民年金だけでは暮らせないので、子どもに頼らざるを得ない。一方、経済的に豊かな親たちは、所得が十分だったり厚生年金や貯蓄があるので、少なくとも経済的には親を子どもが援助する必要はありません。これこそ国が貧困な若者たちに依存している制度です。エスピン=アンデルセン(注5)という北欧の社会保障の学者は、「子どもによる扶養義務を強くすればするほど親子関係は悪くなる」と言っています。「高齢者に対する介護をよりよいものにしようと思ったら、家族による扶養を強くしない方が、家族の仲が良くなるので親子はしばしば会うようになる」と言っているんです。日本では、家族愛を強調するわけですが、逆に介護自殺や介護殺人、さらには孤独死が起きていて、福祉の家族依存が悲劇をもたらしています。ちゃんと介護を保障すれば防げるはずです。