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市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

書評③『みんなの「わがまま」入門』(富永京子 著 左右社 2019) 

季刊『社会運動』2022年1月発行【445号】特集:代理人運動と生活クラブ―民主主義を終わらせない

生活クラブ生協が「わがまま」を言う練習の場になっている


生活クラブ生協・埼玉 理事長 石井清美


「社会運動は、『わがまま』だ」と、著者は言う。批判しているのではない。文字通り「わがまま」だと言っている。「『わがまま』を言う、つまり不平を言ったり愚痴を言ったりすることが、何がしか社会に関わることであり、政治に働きかける『芽』をつくるものである」と言っているのだ。
著者は富永京子さん。人びとが社会運動を行う理由を分析している人だ。この本の執筆は、「中高一貫校での講演をきっかけに」だと言う。「わがまま」をキーワードにすることで、中高生に「社会運動」を身近に感じてもらえたらと考え、この本の読者対象も学生を想定して書いた、とのことだ。
本書には「わがまま」を言えないでいる私たちが、モヤモヤやイライラを超えて自分を解放し、どうしたら「わがまま」を言えるようになるのか、その手がかりが記されている。
「わがまま」を言えないでいるその心情のなぜ?を優しく肯定し、もみほぐす授業が開始だ(小見出しは目次引用)。

「1時間目 私たちが『わがまま』を言えない理由」


「わがまま」を自己中と思ってしまうのは「ふつう幻想」があるから。社会は多様化しているし「自分の苦しみが他の人にも共通するかわからず」、声に出して言っている人を「わがまま」とか「ずるい」と感じて「がまん」してしまう。それらの気持ちがどこから来るのか、ふんわりと丁寧に説明をすすめている。1時間目のポイントもわかりやすくリピート。しかも、社会をいろいろな視点で見るためのエクササイズ付き。

「2時間目 『わがまま』は社会の処方箋」


「わがまま」を掘り下げて、考えてみる。「日本人は、とくに『わがまま』を言うのが苦手」。「自分を変えることそのものも、社会運動」や、「社会運動の効果や意味を長い目で見てみる」、など社会運動のイメージをソフトに伝えている。2時間目のエクササイズは社会がどれくらい変わったかを実感するもの。おもしろそうという仕掛けが仕込まれている。
このあとは、ぜひ本書を読んでいただきたい。ちなみに、「3時間目 『わがまま』準備運動」、「4時間目 さて、『わがまま』言ってみよう!」「5時間目 『わがまま』を『おせっかい』につなげよう」と続く。
私はこの本にもっと若いときに出会いたかった。出会っていたら人生が変わっていたかもしれない。消極的で人前で意見を言うことのできない少女時代だった(笑わないでください)。でも、この本を読んでいたら「『わがまま』を言っていいんだ。心に思ったことを、ちょっとだけ、誰かに、話してみようか」と、勇気が出たかもしれない。そんな後押しをしてくれる本でもある。
生活クラブ生協に加入してしばらく経つ。いろいろな「活動」を日々組合員が行い、よく「私発の意見から始まる」という。この本に出合えた価値はとても大きく、いまさらだが、それって「社会運動」なんだと再認識することができた。生活クラブ生協に集まった人たちは互いに「わがまま」を言い、「わがまま」の言える居場所を作り、イベントを開き、新しい動きをつくり出す。生活クラブ生協というものが「わがまま」を言う練習の場になっているのじゃないか、と。
もう一つ。著者は3時間目で「おうち語(あるコミュニティの中で常用化して内部の人にしかわからない言葉)」化に気をつけて、知らない人に教えてみることを提案している。生活クラブ生協そのものが社会運動だと理解すると、とてもよくわかる。生活クラブ生協のことを知らない人に伝えたいと活動しても、なかなか伝わらない。生活クラブ生協のなかで使われている言葉は専門用語が多すぎるのだ。これはよい助言だと思う。
「わがまま」から始まり、「社会運動」がこんなにも優しく、身近なものだと感じさせてくれる一冊だ。

(p.148-P.158 記事全文)

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