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③沖縄の自治はまだ「神話」か(沖縄タイムス編集委員 阿部 岳)

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「沖縄住民による自治は神話である」と演説したのは、米軍のキャラウェー中将だった。日本の敗戦後、沖縄を占領統治した現地米軍トップの高等弁務官。その絶対権力は、「帝王」「全能」などと称された。

 キャラウェー演説があった1963年、沖縄住民は反発したが、当時は事実そのままの表現でもあった。帝王による布令や布告は、住民代表の「琉球政府」の決定をいとも簡単に覆した。琉球政府の責任者である行政主席は長く米軍の任命制で、逆らうことは不可能だった。

 だから、日本に復帰する前年の1971年、琉球政府がまとめた「復帰措置に関する建議書」は、「新生沖縄の像」として4項目の第1に「地方自治の確立」を掲げた。
 屋良朝苗主席は11月17日、建議書を日本政府に届けるため上京した。しかし羽田空港に到着する直前、衆議院の特別委員会で自民党が基地を温存する沖縄返還協定を強行採決する。
 屋良氏は「寝耳に水。こんなバカなことがありますか」と失望をあらわにした。建議書に託した願いは届かなかった。翌1972年の5月15日、沖縄は復帰したが、自治の確立は第一歩目からつまずくことになった。

 それから50年の今年、沖縄県の玉城デニー知事は2通目の建議書を政府に提出した。そこには、1通目と変わらぬ四つの要求が並んでいた。自治の喪失は今も続いている。
 新たな建議書は、とりわけ辺野古新基地建設問題に強い言葉で言及した。宜野湾市の市街地のど真ん中にある普天間飛行場が危険だから、と同じ沖縄島の中、40キロも離れていない名護市辺野古に新しい基地を造り、海兵隊の航空部隊を移駐させる計画。政府は県民の反対に遭いながら、もう四半世紀以上もだらだらと事業を継続している。
 建議書の新基地に関する指摘は3点。まず、自治の根本である「民意」を挙げた。直近3回の知事選では、いずれも反対の候補が勝っている。
 工事着手直後の2014年の選挙は、大差だった。前年、普天間の県外移設という公約を破って新基地を受け入れた仲井真弘多氏が県民の怒りを買い、退場させられた。かつて仲井真氏の選対本部長として県内移設反対を主導した翁長雄志氏が対抗馬となり、当選した。
 翁長氏は、公約を守って政府に徹底対抗した。安倍晋三政権で沖縄政策を仕切った菅義偉官房長官が「粛々と進める」という発言を繰り返すと、初めての会談で面と向かって批判した。
 「問答無用という姿勢が感じられる。上から目線の言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅する。官房長官の言葉は、キャラウェー高等弁務官の姿を思い出させる」。自治は神話だと言い放った独裁者になぞらえた言葉は、強烈な印象を残した。
 翁長氏は政府との闘いで命を燃やし尽くして、2018年に膵臓がんで死去した。新基地反対を受け継ぐ玉城デニー氏が同年の知事選で、史上最多得票で勝利した。
 いくら選挙結果が示されても、政府は「選挙の争点は新基地問題だけではない」と取り合わない。ならば新基地問題に絞って県民の意思を問おうと、県民が署名を集めて請求し、2019年に県民投票があった。反対が72%を占めた。今度こそ白黒がはっきりした。はずだった。
 当時の岩屋毅防衛相は投票結果を受けて、こう言った。「沖縄には沖縄の民主主義があり、しかし国には国の民主主義がある。それぞれに、民意に対して責任を負っている」。日本の民主主義の中に沖縄は含まれず、県民の人権は多数の幸福のために踏みつぶせると宣言したに等しい。民主主義の退廃を示す発言だった。

(P.75-P.77 記事抜粋)

 

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