「子どもの貧困」というトリック ―問題は「親の貧困」であり、原因は「貧困な親を救済しない政治」にある
(季刊『社会運動』編集長 白井和宏)
最近までGDP世界2位、人口も1億2500万人を超えていた日本の衰退が止まらない。最大の要因は、1970年代に年間200万人も誕生していた子どもが、80万人しか生まれなくなったからだ。
政府は少子化対策として「月2~3万円の出産後給付金」の検討を始めた。ただし支給対象は、非正規で働く人であり、給付期間は子どもが1~2歳になるまでだという。
しかしいまさら、言うまでもなく子どもの養育費は成長するにつれて増える。「2年間、毎月3万円もらえる!それなら子ども産もう!」と思う人がどれほどいるのか。そもそも30年前からずっと、結婚に前向きな人は男4割、女5割しかいない。その上、平均給与は30年前がピークで年々、下がり続けている。理想の子ども数を持たない最大の理由は、「子育て、教育にお金がかかりすぎる」ことなのは調査からもわかっている。
「子どもを産み育てるのは女性の仕事」と主張する政治家たち
2003年「子どもをつくらない女性を、年とって税金で面倒をみるのはおかしい」森喜朗元総理大臣。
2007年「女性は子を産む機械である」柳沢伯夫厚生労働大臣。
2018年「赤ちゃんはママがいいに決まっている。〝男女平等参画社会だ〟〝男も育児だ〟とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない」萩生田光一自民党幹事長代行。
出生率を上げる施策は、保育の無償化、子どもの医療費無料化、児童手当の増額、義務教育・高等教育費の無償化等、山ほどある。ところが、政府はこうした少子化対策への積極的な支出を拒んできた。それは結局、政治家たちが「子どもを産み育てるのは女性の仕事」であって、政府の責任ではないと考えているからではないのか。「貧困の子ども支援」と言いながら、年々、生活保護費を引き下げ、生活保護世帯の大学進学を認めない。その一方、政治家たちの関心は軍事費の倍増にあり、増税を画策している。
政治の責任を問わなければ、子どもの貧困は深刻化するだけだ。少子化問題の現実とあるべき今後の方向性を考えたい。
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