①子どもの貧困問題にジェンダーの視点を(立教大学コミュニティ福祉学部教授 湯澤直美)
貧困問題の本質から目をそらさないこと
子どもをめぐる経済的困難がクローズアップされるようになったのは、2000年代に入ってからです。「子どもの貧困対策推進法」が2013年に制定されたことで、「子どもの貧困」という言葉がマスメディアでも頻繁に使われるようになりました。また、子ども食堂や無償の学習支援などの活動が広がりをみせ、「子どもたちのために自分が何をできるか」という意識を持つ人が増えました。基礎自治体における大きな変化は、子どもの貧困に関する実態調査をはじめ、子どもの貧困対策計画が作られるようになったことです。そのような動きは法律に基づくものであり、一定の前進であると評価できます。
しかし、一方でこのような現状にはもう一つの側面があります。それは、「『子どもの貧困』という枠組みであることによって法律の制定が可能となった」ということです。子どもも成人も、いずれの世代も直面する貧困は、同じ社会構造のなかで発生しているのですから、貧困を生み出す構造を組み替え、不平等を解消する必要があります。けれども、貧困問題全般の解消を目指す単独法はありませんし、今後もその実現は難しいと思われます。なぜなら、新自由主義的な政策を推し進めようとすることと、貧困問題の根本的な解消は相容れないものであるためです。
しかしながら、現在の社会体制においては必然的に絶えず貧困が生み出されていくので、国としてはそのことへの社会不安や不満には、対症療法的に対処する必要があるわけです。そこで、国も貧困対策に取り組んでいることを示す手段として、子どもの貧困対策が活用されてしまう側面に注意が必要です。子どもの貧困対策が不可欠なことは言うまでもありませんが、「子どもには罪はない」という社会の眼差しの一方で、「親は何をしているのか」と大人の貧困を自己責任として非難する世論があることも事実であり、貧困問題の本質から目をそらす方策になりかねないのです。
子どもの貧困対策推進法の施行を受けて、政府は2015年、「夢を貧困に潰させない子供の未来応援国民運動」を始めました。ウェブサイト上では、企業や個人から広く寄付を募る活動や、企業とNPOのマッチングが行われています。子どもの未来を潰させないのは重要なことですし、市民社会の取り組みも重要ですが、貧困率を下げる努力を政治がしていなくても、「国民みんなで貧困対策をやっていますよ」というカムフラージュになりかねません。
(P.39-40、P.45-P.47 記事抜粋)