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⑤人口減少の原因は出生率の低下と未婚率の上昇(国立社会保障・人口問題研究所 人口構造研究部長 小池司朗)

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日本の総人口のこれまでとこれから

 

 図1は1950年から2065年までの5年ごとの日本の総人口の推移と、今後の推計を一つのグラフにしたものです。当初は伸び続けてきた総人口ですが、次第に伸びのペースが鈍化して、いまのところ日本の総人口のピークは2008年頃であったと言われています。そこから減少に転じて、その後は長期的な減少過程に入ることが予想されています。

 

 内訳を見ていきますと、かつて出生率が高かった時代は、積み重ね棒グラフでは1番上の0歳?14歳の子どもの人口が大きな割合を占めていましたが、出生率が低下するに従って徐々に割合を減らしています。折れ線グラフは子どもの人口割合の推移を示しています。1950年では35・4%であったのが、2020年の国勢調査では11・9%までに減少して、いまや子どもの数は10人に1人くらいまで減っていることになります。

 

 積み重ね棒グラフの2番目が15歳?64歳のいわゆる「生産年齢人口」で、こちらもグラフでわかるように次第に割合を減らしています。その代わりに65歳?74歳の高齢者人口、さらに75歳以上の後期高齢者人口が増えていく見通しです。日本は先進国のなかで最も高齢化が進んだ国だと言われていて、2020年の時点ですでに65歳以上の人たちは28・6%になっていますが、今後もその割合が増えていくという見通しになっています。

 

 ちなみにこのグラフの推計値は、2020年の国勢調査を基準にした推計がまだ出ていない(2023年の早い時期に公表予定)ので、2015年の国勢調査を基準にした推計になっています。

 

人口減少に転じた背景

 

 日本は国際人口移動が他の先進諸国に比べると極めて少ないので、日本の総人口が減少に転じた直接の要因は、出生数の減少ということになります。出生数が死亡数を下回れば総人口は減少し、逆になれば増加するわけです。国際人口移動がないと仮定した場合、総人口を維持するためには、合計特殊出生率(1人の女性が生涯において産む子どもの数)が2・07である必要があります。

 

 図2の折れ線グラフに示されているように、日本では1970年代後半から一貫してその数字を下回っています。2020年では1・33です。棒グラフの出生数で見ても、1973年をピークに減少を続けています。

 

 それではなぜ出生率は下がったのでしょうか。第一には結婚する人が減ったこと、つまり未婚率の上昇が最大の要因だと思われています(図3・図4)。

 

 未婚率上昇の要素としては、高学歴化が指摘されています。また近年では、若年層の年収が上がらないという経済的な要因で、結婚に踏み切れない若者が増えていることも関連しています。

 

 次の要因は結婚している夫婦の子どもの数の減少です(図5)。これは一つは晩婚化で子どもを産む期間がかつてよりも短くなっているということが大きな要因ではないかと思っています。例えば20代で結婚するのと30代後半での結婚とでは、産まれてくる平均的な子どもの数は違ってきます。また教育費の増加など、子どもを持ちにくい環境に変わってきていることも大きな要因だろうと思います。

 

 もう一つ、ベビーブームにかかわることがあります(図2)。終戦直後に第一次ベビーブームがあり、その子どもたちによる第二次ベビーブームが1970年代前期にあったのですが、第三次ベビーブームはありませんでした。これは第二次ベビーブームの団塊ジュニア世代が、大学卒業の頃から90年代の不景気に直面して、就職難になったことが大きく影響しています。フリーターで過ごした人もかなり多く、そのような人びとはなかなか結婚に踏み切れなかったのではないかと言われています。日本の人口構造にとって非常に悪いタイミングで不景気が来てしまったという不幸も重なったのでした。

 

政府は何をしてきたのか

 

 ただ出生数が減ったからと言って、総人口がすぐに減少に転じるわけではありません。長生きする方が増えて死亡数が減れば、総人口は増加します。実際、70年代後半から80年代に出生率や出生数が下がり始めても、総人口自体は増えていました。高度経済成長期直後で、大都市部では人口過密の問題もクローズアップされていたくらいですから、いまのような人口減少への危機感のようなものは社会にほとんどなかったのではないでしょうか。

 

 最初に人口減少への危機感が意識されたのは、1990年の「1・57ショック」でした。89年に出生率が1・57になったことが翌年に新聞などで大きく取り上げられたのです(図2)。
なぜこれがショックかというと、丙午の年より出生率が低かったからです。日本ではこれまで丙午の年には大きく出生率が下がりました。そのため直近の丙午であった1966年の出生率が1・58だったので、当面はその値を下回ることはないと思われていたのです。ところが89年にそれを下回り、出生率の急速な低下が明らかになったわけです。

 

 人口減少の危機感を背景に、1994年12月に政府は「エンゼルプラン」(注)を策定し、少子化対策に本格的に取り組むことになりました。その後、1999年に「新エンゼルプラン」を策定、2003年には「少子化対策基本法」が制定され、翌年に「少子化対策大綱」、2010年には「子ども・子育てビジョン」、2015年の「少子化対策大綱」を経て、現在は2020年5月策定の「少子化対策大綱」に基づいた少子化対策が行われているという状況です。

 

 エンゼルプランの頃は、仕事と子育ての両立や保育園の整備など、どちらかというと結婚している夫婦の支援に力が入れられていました。それはもちろん現在でも重要な視点ですが、結婚しなくなるという傾向への支援は薄かったという面は否めませんでした。2000年代後半くらいになって、ようやく結婚に向けた支援などにも力を入れるようになってきたというのが、政府がしたことの大まかな流れであろうと思います。

 

(注)1994年に文部、厚生、労働、建設各省は子育て支援のための基本的方向と施策を盛り込んだ「今後の子育てのための施策の基本的方向について」を明らかにした。この計画をエンゼルプランという。共働き家庭の育児を支援するなど様々な施策が盛り込まれている。

(P.80-P.85記事抜粋)

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