②再び家族の責任にしないために個人を支える社会づくりを
(お茶の水女子大学名誉教授 藤崎宏子)
【好評発売中】季刊『社会運動』2023年7月発行【451号】特集:長生きしたら、どうしよう? ―崩壊する介護保険制度をたてなおす
子どもが親の面倒を看るという「美風」を強調する保守派
―介護保険制度の創設時に、保守層からの批判はなかったのでしょうか。
介護保険制度の創設という大改革を可能にした政治的背景について、政治学者の辻 由希氏は、その「政策アジェンダ化を促したのは、政界再編と1994年の自社さ連立政権の発足」だとの見解を示しています(注2)。また政治学者、宮本太郎氏は、同法成立の背景には「例外状況の社会民主主義」があったと分析しています(注3)。私は政治学者ではないので知識は不十分ですが、連立政権下という政治的状況が一定の促進要因になったことは確かだろうと考えます。ただ、前に述べたように1990年前後には高齢者介護政策の行き詰まりは明白だったので、何らかの新しいシステムが誕生するのは必然だったのではないでしょうか。
この新しい高齢者介護システムに関する議論は1994年春から本格化し、様々な紆余曲折の後に、1997年12月に介護保険法が制定されます。この法制定過程では、自民党内部も一枚岩ではなく、様々な争点のなかでも家族介護の評価をめぐって大きく意見が割れていました。例えば衆議院議員時代の安倍晋三氏は、法制定直前に次のような懸念を表明しています。「体に障害が出たときには子やまた孫たちが親の面倒をみる、しかも温かい愛情の絆の中で助け合っていくということがあるべき姿である」。「(介護保険制度によって)介護はもう自分たちがやらなくていいのだ、国や地域に任せればいいのだという考えがはびこってはとんでもないことになる」と。
さらに、後々まで語り草になるのが、当時の自民党政調会長・亀井静香氏による、1999年秋以降の発言です。「子どもが親の面倒を看るという美風を損なわないよう配慮が必要」、「親と子の関係を、老人と社会の関係に置き換えてはいけない」など、すでに法制定を経てあと半年で施行される段階にもかかわらず、介護保険の内容を「最初から再検討すべきだ」などと述べて、大きな混乱を引き起こしました。
このような発言に対しては、制度の実施主体となる地方自治体や自治体職員、福祉関係者、連合など、また「介護の社会化を進める一万人市民委員会」「高齢社会をよくする女性の会」などの市民団体、そしてマスメディアなどから一斉に批判の声が上がります。自民党内部でも若手議員を中心に反論があり、事態は混乱しました。
しかし、このような混乱により、かえって介護保険料という新たな負担をしても多くの人びとは介護保険制度の実施を望んでいるということが明らかとなります(注4)。政府としても65歳以上の第一号被保険者の保険料徴収を当面猶予・軽減するなどの妥協案を提案せざるをえなかったとはいえ、介護保険制度の基本枠組みを揺るがすことなく、予定通り2000年4月の施行を迎えることになったのです。
(P.27-P.29 記事抜粋)