③外国人労働者の受け入れ方を知り、働き方を理解する
(名古屋学芸大学看護学部客員教授・名誉教授 石田路子)
【好評発売中】季刊『社会運動』2023年7月発行【451号】特集:長生きしたら、どうしよう? ―崩壊する介護保険制度をたてなおす
過酷な労働条件が露呈され、人材不足が起き出した
―そもそも、なぜ日本の介護現場に外国人労働者を迎えるようになったのでしょうか。
2000年に日本で介護保険制度がスタートし、「これで家族の介護負担が軽くなる」などと日本全体から大きな期待が寄せられました。当時、介護の仕事というのは福祉職と一緒に考えられていて、どちらかといえば公務員など公的機関で働く人というイメージが強かったので、安定的な仕事と思われ、介護分野への就職意欲が高まりました。福祉系の大学や学部が急増したのもこの時期です。
ところが、介護ブームに水をさすような事件が続きました。その代表的なものがコムスン事件です(2006?07年)。全国に介護サービス事業を展開する株式会社コムスンが、訪問介護事業所を開設する際、架空のヘルパーの名前を届け出たり、介護報酬の不正請求を行ったことで問題になりました。
コムスンは新規事業の開設や自社事業を更新できなくなり、介護事業からの撤退に追い込まれました。そのような事件だけでなく、介護現場そのものの過酷な労働条件が明るみに出たことも大きな話題となりました。介護は重労働なのに給料が安いことが問題視されるようになり、介護や福祉に情熱を燃やして就職してきた人たちの気持ちが削がれてしまったのです。厚労省がコムスンへ査察に入って業務停止にした2007年には、介護の仕事を辞めてしまう人の数がピークになりました。マスコミも「介護現場はこんなに辛い、やってもやっても報われない」とマイナスイメージを報道することが多くなり、ますます就職を希望する人は減少しました。
外国人を介護現場に迎えるという話は、このような日本の介護現場における問題とともに、厚労省が2025年には全国でおよそ33万人の介護職員が不足すると予測したことが背景にあります。
それに対応する最初の試みとなったのがEPAでした。コムスン事件以降の流れとEPAで介護労働者を迎える時期が重なっているのを見ると、厚労省がマンパワーとしての外国人介護労働者に頼る方向へ舵を切ったのではないかと推測します。高齢者の人口が絶対的に増加するのに比して、その介護に従事するマンパワーが足りなくなることはわかっていました。すでに外国人に頼っているヨーロッパなどに習う形で外国人介護労働者の受け入れを始めたのだと思います。
(P.39-P.41 記事抜粋)