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市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

書評①『あなたはどこで死にたいですか?-認知症でも自分らしく生きられる社会へ』
小島美里 著(岩波書店2022年)

【好評発売中】季刊『社会運動』2023年7月発行【451号】特集:長生きしたら、どうしよう? ―崩壊する介護保険制度をたてなおす

まず自分が認知症になったらどうなるかを考えてみた

 

市民セクター政策機構理事/生活クラブ生協・千葉 理事長 福住洋美

2005年生活クラブ生協加入。2011年に単協理事になり2019年から理事長。
何歳になってもいろいろチャレンジできる生活クラブが好きです。

 

 昨年の2月に独居の父が90歳で亡くなりました。父は週2回のデイサービスを楽しみにしていましたが、費用面や対応してくれる職員のことなど、不平、不満をたまに会う私によくこぼしていました。また、要支援2でヘルパーさんに家事サポートの支援を受けていましたが、〇時間という枠の中で動いてもらうのに一番コスパがよくなるよう指示内容を予め決めねばならず、それも大変だと言っていました。
 私は仕組みがよくわからないので話を聞くばかりでしたが、やりとりのなかで「おかしいと思うならケアマネさんや市役所に相談したら」と返したところ、父は「いや、言ったところで財源は決まってるし変わらない。逆に大ごとになって待遇が悪くなっても困るからこのままでいいんだよ。言っちゃだめだよ」と口止めまでされてしまいました。要するにとばっちりを受けるのは利用者である自分。多少のことは我慢するからいい。ということなのでしょう。
 そんな経験をしたところで、この認知症に関する本を読みました。85歳を過ぎると4割、90歳を過ぎると6割の人が認知症になると言われているそうです。認知症でない父でも不便さはあったのに、認知症になったらどうなのかを知りたく
なりました。
 果たして認知症でも安心して生きられるのか。いまの介護保険制度では、なぜこれほど使い勝手が悪くなってしまったのか? 介護保険制度は、今後どうなっていくのか? という問いかけが冒頭著者から投げかけられているように、かなり闇があるということでしょう。それを裏付けるように、自宅で最期を迎えることがいかに難しいかが豊富な事例をもって語られています。
 使い勝手の悪さについては、まずは生活援助が抑えられていること。どんなに身体が丈夫でも認知症になったら援助なしには生活できないでしょう。しかし、厚労省はおむつ交換や入浴介助などの身体介護の方を生活援助よりも高く設定し、結果的に生活援助サービスを抑制しています。介護保険は本来利用者がサービスを自分で選んで利用する制度で生活援助を何回入れても構わないはずなのに、生活援助は回数まで設定され、行政にとって都合の良い方向に誘導されているように見えるということです。認知症向けの設計になっていないのが現実のようです。

 

介護制度を「公費」にすることは可能か

 

 ケアプラン有料化の話もあります。これをしてしまうと、利用のハードルがあがり、利用者負担も増えます。保険料を払っているのは介護サービスを受けるためなのになぜこんなに抑制方向に進むのか。介護保険財政は赤字なのかと思いきや、実は黒字とのこと。抑制の理由はいろんな思惑があるようですが、介護保険支出のなかの医療サービスの割合が増えているということです。
 介護保険は介護のためで医療のためではないはずですが、実際に介護保険には医療系のサービスがたくさん入っていて境界線も曖昧なようです。
 ヘルパーの慢性的な不足や高齢化の問題もあります。
 このような状況で、介護保険は20年で前進せずに後退してしまった。介護保険ではなく介護制度そのものを見直す時が来た、と著者は言っています。そして最後に、新たな介護制度は「保険」でなく「公費」にすることは可能であろうかという問題意識から、財政社会学者の井出英策氏の唱える「ベーシックサービス論」を紹介しています。
 介護の言葉は難しく仕組みも複雑だと改めて思いました。だからこそ、わかりやすい制度にして誰もが権利として使え安心して生き死ねる社会になってほしいと切に願います。

(P.47-P.48 記事全文)

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