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国策と消費者に翻弄される畜産農家(季刊『社会運動』編集長 白井和宏)

【発売中です】季刊『社会運動』2023年10月発行【452号】特集:北海道で未来をさがす 国産牛肉が食卓から消える!?

「内地」から満州、そして北海道へ

 

 「拓け満蒙!行け満州へ!」とは満州への移民を募集する政府のスローガンだった。1930年代、極度の不況にあえぎ、満蒙開拓団に加わった農民は27万人にのぼる。しかし1945年8月、日本はアジア・太平洋戦争に敗戦し、戦地や植民地から命からがら600万人を超える軍人・軍属や民間人が引き上げてきた。
 そこで政府は急遽、「緊急開拓事業実施要領」を決定。復員者の就労確保と、食糧増産が目的だった。こうして北海道に入植した人びとは4万5000戸と言われる。
 厳しい自然条件のなか、初期の開拓者たちの苦難は筆舌に尽くしがたいものだった。森を拓き、丸太で小屋を立てる。巨大な根や岩を掘り起こして、クワが折れるほど固く凍った大地を少しずつ耕していく。栄養失調で倒れる者も多かったと言われる。

 

自動車産業の身代わりになった畜産

 

 1948年には、開拓農家たちが作った開拓農協によって「全国開拓農業協同組合連合会」が発足。北海道内の開拓農協が母体となって1974年に設立された畜産専門農協連合会が「北海道チクレン農業協同組合連合会」である。
 1980年代になると日本からアメリカへ自動車など工業製品の輸出が急増し、日米貿易摩擦が激化した。その結果、1991年に牛肉とオレンジの輸入量制限が撤廃され、牛肉とオレンジの輸入が急増し、消費者も安い牛肉とオレンジジュースを歓迎してきた。自動車産業の身代わりとして日本の畜産とみかん農家が犠牲になったのである。

 

畜産農家が消える!?

 

 こうして輸入牛肉があふれる一方、畜産農家の廃業が続いている。1968年まで100万戸を超えていた肉用牛の生産農家は、いまや4万戸しかいない。高齢化と後継者不足は日本の農業全体の問題だが、さらに飼料代や燃料価格の高騰が畜産農家を襲っている。「もはや限界だ」という悲鳴は全国から聞こえてくる。
「安くておいしい牛肉がいつでも食べられる」というのはアメリカと輸入商社が振りまいた幻想でしかない。消費者も、夢から覚めて、現実と向き合う時が来た。

(P.4-5記事全文)

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