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市民セクター政策機構

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①「新しいアイヌ学」から見たアイヌの歴史 −侵略者は歴史をも奪う
(北海道大学名誉教授  小野有五)

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きっかけは、アイヌ語の地名平等併記運動

 

 生まれ育ちは東京で、専門は自然地理学です。北海道大学で環境科学を教えていましたが、アイヌの人たちとのかかわりはほとんどありませんでした。「アイヌ文化振興法」ができた翌年の1998年に、北海道庁が同法を具体化するための施策を一般公募したとき、アイヌ語の地名を日本語と平等に併記することを提案したことをきっかけに、アイヌの問題にかかわるようになりました。地名は地理学にとって非常に重要です。アイヌ語地名を無理に漢字表記して、元の意味もわからない状態になっているのをなんとかしたいと思っていたのです(画像①)。
 提案を道庁に提出するとともに集会を開催したら、そこにアイヌのエカシ(長老)である故・小川隆吉さん(アイヌ民族運動家)が、よい提案だから応援したいと参加してくださって、そこからアイヌの人たちとのつながりができていきました。その後、アイヌの人たちに語り継がれてきた神謡(注)をアイヌとして初めてアイヌ語でまとめた『アイヌ神謡集』(1923年刊)の著者、知里幸恵さんのご遺族などとも知り合うことができ、「知里幸恵 銀のしずく記念館」(登別市)の建設のお手伝いなどもさせていただきました。
(注)アイヌ文学のジャンルの一つ。カムイ(動物・植物・自然現象など)が主人公となってカムイの国や人間の国での体験を語る物語の総称。アイヌ語でメロディにのせて口演することが特徴。

 

日本の歴史学・考古学ではアイヌは12世紀まで現れない

 

─小野さんは「新しいアイヌ学」を提起しています。それはどのようなもので、なぜ必要と考えたのでしょうか。

 いま日本の歴史学者や考古学者が使っている標準的な年表では、北海道の12世紀くらいから19世紀までだけが「アイヌ時代」とされています。本土の鎌倉時代から江戸時代までにあたります。それ以前は「擦文時代」「続縄文時代」「縄文時代」とされ、そこには「アイヌ」という言葉が一切出てきません。まるでアイヌの人たちが12世紀くらいに突然、北海道に現れたかのようです。
 なぜかと言うと、歴史学では、最も重要視する「エビデンス」が「文書」だからなのです。外国人宣教師などが12世紀ごろに記した文書に初めて「アイヌ」とか「アイノ」などといった言葉が出てきます。アイヌの人たちはその前からいたはずなのに、歴史学ではそこで初めて「アイヌ」が登場したことになってしまうのです。考古学者も、それに従い、12世紀ごろの地層から発掘されたものは「アイヌ」のものとしますが、さらに深い、それ以前の地層から掘り出されたものは、まだアイヌではない「擦文人」の土器、更に深いところから出れば「続縄文人」の土器、「縄文人」の土器としてしまうのです。
 しかし擦文土器を作ったのはいったい誰なのでしょうか。広い北海道で、「擦文人」なる人びとが12世紀に突如アイヌに入れ替わってしまったと考える方がよほど荒唐無稽です。誰が考えても擦文土器を作ったのはアイヌの人たちに決まっていますし、その前の続縄文土器も縄文土器も、アイヌの人たちが作っていたのです。

(P.83ーP.85 記事抜粋)

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