ノルウェーの先住民サーミ抑圧の歴史と 若者と女性のムーブメント
(鐙<あぶみ> 麻樹:ジャーナリスト・写真家)
筆者はここ数年、サーミ人の活動から目が離せずにいる。若者と女性たちによるエネルギー溢れるムーブメントが「自ら動かなければ変化は起きない」ことを証明しているからだ。
サーミ人は北欧ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北極圏中心、そしてロシアに住む先住民族だ。かつては「ラップ人」とも言われていたが、現在では差別語とされている。この原稿では筆者が住むノルウェーでのサーミ人について話したいと思う。
筆者がサーミ人の存在を知ったのがいつだったかは覚えていない。だが、早い段階で「ノルウェー政府が抑圧をしてきた先住民族がいる」「美しい民族衣装を着ている」「極右政党と仲が悪い」という認識があった。ノルウェー公共局にはサーミ語専用の番組もあるし、ノルウェー語でニュースを見ようとチャンネルを変えていると、サーミ語のニュースに切り替わることもあった。5月17日のノルウェーのナショナルデー(憲法記念日)となると、「ブーナッド」と呼ばれるノルウェーの民族衣装を着る市民の中に、「コルト」というサーミの民族衣装を着た人が紛れていることもある。観光客用のお土産屋さんには木製のコップやトナカイの毛を利用した敷物や靴が売られているが、サーミの文化とつながりがあることも後から気が付いた。そして、2013~2021年のソールバルグ前政権時には与党でもあった極右政党「進歩党」から差別発言のシャワーを浴びている存在でもあり、両者の対立は現地で頻繁にニュースとなっている。テレビ番組ではサーミ人のアーティストも活躍し、今では若者たちが自然を守ろうと活動している。筆者も取材することが多い。
このように、ノルウェーで日常生活を送っていると、サーミの人たちは身近な存在だ。日本だったら先住民の抑圧されてきた歴史に対する反省も含め、これほどのレベルで日常的に注目を浴び、存在が市民の間で可視化されたことはないだろう。
だが、サーミの人たちが今浴びている注目や国内で起きている歴史の反省は、常に当たり前のものかのように存在していたわけではない。ここまでくるにはサーミの人たちとサポートする周囲の長き活動があったからだ。
言葉を奪った同化政策と寄宿学校
ノルウェーでは1840~1945年に同化政策が行われた。1800年代半ば、ノルウェー政府は国家と市民の愛国心とアイデンティティ強化のために、「劣った」先住民であるサーミ人とクヴェン人をノルウェー人化することに集中した。
目をつぶって想像してみてほしい。サーミ人は親戚も「家族」と認識するほど、家族の絆が強い民族だ。子どもは家族から引き離され、全く理解できないノルウェー語環境の寄宿学校に送り込まれ、サーミ人であることが恥ずべきことだと教えられる毎日の恐怖を。寄宿学校にいたからといって、全ての子どもたちがノルウェー語を話せるようになるわけではない。個人のアイデンティティ確立に重要な子ども時代に、自らの思考や思いを言語化できないことによって、それからもずっと「自分の思いを発する」ことが苦手なサーミ人を量産させた。「言葉を奪う」ということは「私が私であること」を奪うことだ。自分の存在意義がなくなり、ルーツや誇りが全てゴミとして否定される日々。サーミが受けた抑圧の歴史を知れば知るほど、人から「言葉を奪う」ことがいかに恐ろしく残酷な行為なのかを思い知らされる。
この寄宿学校と同化政策の影響を受けた子どもたちのトラウマ体験は、それからも次世代に引き継がれることとなる。
そして残念ながら、ノルウェー人の一部にはサーミ人に対する偏見と差別意識が今でも内面に潜んでいる。
(P.106-P.110 記事抜粋)