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市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

①消費社会批判としての消費材(市民セクター政策機構 理事長 柳下信宏)

【発売中】季刊『社会運動』2024年1月発行【453号】特集:まぼろしの商品社会 ―変革のキーワードは「使用価値」

牛乳の共同購入をきっかけに、食品の「使用価値」を考える

 

 1965年、牛乳の共同購入運動から生活クラブは始まった。当時牛乳は1本18円ぐらいだったが、「牛乳を安く飲むために生活クラブに入りましょう」と地域(東京都世田谷区)に呼びかけ、集まった会員約200人で1本15円の牛乳を共同購入した。最初に配達した牛乳は329本だったという。

 しかし、この牛乳の共同購入は、すぐに困難に直面した。生活クラブは成分無調整の牛乳を共同購入していたのだが、近隣の牛乳販売店から「生活クラブの牛乳は質が悪い」と言われ脱退する会員が続いたのだ。そのような誹謗中傷を受けて、改めて牛乳について調べると、「牛乳」とは成分無調整の普通牛乳だとわかった。近隣の牛乳販売店で販売していた「ビタミン牛乳」や「濃厚牛乳」といった商品こそ、本来の「牛乳」ではなく「加工乳」や「乳飲料」だったのだ。当時の岩根邦雄理事長は1976年の生活クラブの機関紙『生活と自治』で、以下のように振り返っている。

 

「普通牛乳だとか安物の牛乳といっていたものが牛乳であって、加工乳とか乳飲料は生乳だけを処理したものではなく、牛乳に何かをまぜた、まぜもの牛乳とでもいうべきものだったのです。ところが乳業メーカーは資本にものをいわせ、宣伝の力で普通牛乳は安物というイメージを消費者のなかに植え付けて、加工乳を良い牛乳に思わせることに成功したのです。付加価値の高い商品の頽廃ぶりです。こうして独占段階に入った大企業は商品のもつ二面性を交換価値の一方だけを高める(高利潤)ことにあらゆる手段を使って狂奔するのです。私たちのもとめるのは牛乳という食品の使用価値であり、商品としての交換価値ではないのです。こうして私たちは牛乳を通しての商品論を勉強しているのです。資本主義社会の基本的なメカニズムがここに展開されているのではないか(中略)何気なしに商品を買うことに疑問を抱かない限り、有害食品や嘘つき食品発生の原点はなくならないのです」

 

 この事件は「商品」の持つ本質的な問題を提起している。「商品としての交換価値」と、「牛乳の使用価値」という言葉の対比に着目しよう。牛乳という商品を売る企業にとっては、その牛乳がいくらで販売できるか(より多くの利益を得られるか)という「商品価値(交換価値)」が重要だ。しかし、牛乳を消費する側にとっては、牛乳の味や栄養、新鮮さという、牛乳本来の価値(使用価値)の方が重要である(ちなみに「消費材」という言葉は生活クラブが創出した言葉だが、「交換価値(商品価値)」、「使用価値」という言葉は、経済学用語である)。

 

いまも続く水俣病の裁判闘争が問う食の安全

 

 生活クラブが東京都や神奈川県で設立された高度経済成長期には食の安全をめぐる問題が噴出した。この時期に大きな社会問題として焦点化したものの一つに水俣病がある。工場排水で汚染された魚介類を摂取したことにより、おおぜいの人が亡くなり、深刻な健康被害を受けた事件だ。認定された患者だけで2998人、国の水俣病認定基準には満たないが感覚障害等があり、水俣病被害者救済特別措置法の救済対象となった方が合計3万8320人(2021年度版環境白書)。

 そして汚染された魚を食べているにもかかわらず、この救済から漏れた被害者による裁判闘争はその後も続いてきた。国が設定した救済基準の対象外とされた人に対して、ようやく2023年9月に国などの賠償責任を認める判決が下されたのだが、国や原因企業は判決を不服として控訴している。


 なぜ、ここまで被害が拡大し問題の解決も進まないのだろうか。水俣病患者が公式に確認されたのは1956年のこと(実際にはそれ以前にも深刻な健康被害は発生している)。発生当初より工場排水が原因であることを指摘する医師や研究者もいたが、原因企業や国は、問題が明らかになっても対策をとらず、責任逃れに終始した。人びとの健康や環境よりも、商品生産による経済的利益が優先され、排水が止められないまま、いたずらに時間が過ぎた。激しい抗議運動や、裁判闘争などでの追及により、企業や国が因果関係を公式に認めるのは、公式確認から12年後の1968年まで待たなければならなかった。その間、生命を育むはずの食べ物が汚染され続け、多くの人命、健康、人びとの暮らしが損なわれたのだ。


 水俣病は食の安全に関する極めて重要な事件だ。このほかにも、森永ヒ素ミルク事件、カネミ油症事件、イタイイタイ病など、当時の食の安全、健康被害に関する問題は枚挙にいとまがない。食品添加物の問題も消費者運動の主要テーマだった。その後も、放射能汚染やBSE(いわゆる狂牛病)、遺伝子組み換えなど、問題はさらに複雑に、深刻になっている。食品の偽装問題も古くて新しい、止むことない問題であるし、輸入に依存してきた(すなわち海外から買えばよいと考えてきた)ことで、国内における食料生産自体がいまや危機的な状況に陥っている。


 経済的利益を最優先した商品の生産や流通のあり方によって多くの問題が引き起こされてきたのではないだろうか。

 

商品の本質が孕む問題

 

 ここで商品とは何か、もう一度確認する。商品の本質的な目的は売って利益を上げることにある。極論を言えば、儲けが増えさえすれば、どんな悪事を働いても、使用価値の低い商品でも、バレなければ売ってしまえというモラルハザードが生じる可能性を孕んでいる。もちろん、すべての商品に問題があると言っているのではない。良心的に生産するメーカー、商品が大多数であるし、不正、不当な商品を消費者が無条件に受け入れるわけではない。いまでは企業の社会的責任やコンプライアンスが強く求められる時代になった。しかし、モノそのものが提供、実現する「使用価値」より、いかにして儲けるかが至上命題である商品には、生産、流通、消費、廃棄の過程において、非常に深刻な問題を生み出す可能性があるし、現に生み出してきた。2023年に判明した中古車販売業者の不正事件は、バレなければ儲けるためには何をしても良い、車を傷つけても、自動車保険料が上がっても、そんなことは二の次という「商品」の販売にかかわる事件だった。


 福島第一原子力発電所の事故は、以前から指摘された津波の危険性を無視したことで起こっている。安全対策をとらずにコストを下げ、いかに儲けるかが重視されてしまったのだ。人びとの生活に不可欠な電気という「使用価値」の提供よりも、電気という商品でいかに儲けるかという「商品価値(交換価値)」が優先されてしまった結果として起こった事故だと言えるだろう。

(P.11-P.15 記事抜粋)

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