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②現代消費社会の問題点から脱却する途を考える(名古屋商科大学経営学部教授 矢部謙太郎)

【発売中】季刊『社会運動』2024年1月発行【453号】特集:まぼろしの商品社会 ―変革のキーワードは「使用価値」

第1章 はじめに

 

1.ボードリヤールと日本

 

 いま、フランスの思想家ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』を読むのは、誰だろうか。


 1980年代日本で「ニューアカデミズム」とも呼ばれた思潮の中心にあった「ポストモダン思想」の担い手のひとりであったボードリヤール。日本におけるボードリヤールの受容のされ方を簡単に振り返ってみると、三つの文脈に整理されるだろう。


 一つ目の文脈として、戦後日本の社会思想に強い影響力をもっていた正統派マルクス主義からの「転向」としてのポストモダン思想として、ボードリヤールは受容されてきた。


 二つ目の文脈としては、デザイン批評として受容されてきた経緯がある。1973年にボードリヤールは日本開催の「世界インダストリアルデザイン会議―ICSID ’73 KYOTO―」に特別講演者のひとりとして招待され、未来のデザインのあり方について講演している。

 

2.ボードリヤールと「無印良品」

 

 三つ目の文脈として、ボードリヤールは、1980年代以降、現代社会を記号価値の消費から分析する理論として受容されてきた。このとき、現代社会を消費社会として批判する視点だけでなく、記号価値の消費を、むしろ自覚的に引き受け享受していく態度も生じさせた。「ボードリヤール・フォーラム東京’81」の会場として池袋西武百貨店スタジオ200を提供したセゾングループ代表の堤清二は、ボードリヤールをヒントに「無印良品」を立ち上げ、記号価値の消費を消費文化として積極的に楽しむ態度を唱道したひとりでもある。同時に、こうした態度を促すためのマーケティングの方法論、基礎理論としてもボードリヤールは注目されることとなった。また、この態度は文芸、音楽、美術等の芸術一般にも波及し、過去の諸々の作品を、それらが生まれた歴史的な背景や文脈から引き離し、並列的に寄せ集める(コラージュ)という「創作」とその消費を促すこととなった。文化の商品化である。


 本稿では、日本におけるボードリヤール受容の三つ目の文脈、現代社会を記号価値の消費から分析する理論、それも現代社会を消費社会として批判する視点としての消費社会論に注目し、まずその消費社会論について概説したうえで、記号価値消費の「まぼろし」から脱却するための鍵について論じたい。

 

第2章 ボードリヤールの消費社会論

 

3.「使用価値」と「記号価値」

 

 ボードリヤールは、消費を「使用価値の消費」と「記号価値の消費」の二つに峻別している。「使用価値の消費」とはモノの機能・効用を消費すること。「記号価値の消費」とは自己表現(他者から自分を区別すること)のための記号としてモノを操作することをいう。ここでいう「記号」とは、「単一の意味、メッセージを伝えるもの」と考えてもらえばよい。


 たとえば、登山の際、防寒のためマウンテンパーカーを着るのであれば「防寒」という使用価値の消費になるし、あえて街中で「アウトドア派」を自己表現するために着るのであれば「アウトドア派」という記号価値の消費になる。そして、「使用価値の消費」は「衣食住の基本欲求」の充足を目的としており、その消費には基本欲求を充足させる「限度」が存在する。たとえば、防寒のためにマウンテンパーカー1枚を着て充分に暖がとれたなら、その「限度」を超えて2枚目を着る必要はない。


 他方、記号価値の消費は「自己表現の欲求」の充足を目的としている。しかしながら、記号価値の消費には「自己表現の欲求」を充足させる「限度」が存在しない。「アウトドア派」という自己表現を追求するなら、もしかするとマウンテンパーカーだけでは事足りず、トレッキングシューズも履く必要があるかもしれない。その意味でボードリヤールは、記号価値の消費を促す「自己表現への欲求」を、充足される欲求ではなく、充足されない「渇望」であると指摘している。現代の私たちにとって、通常、「使用価値」はあって当たり前で、それよりも「記号価値」の方に関心を向けることの方が多くはないだろうか。ボードリヤールの消費社会論とは、「記号価値の消費」の観点から現代社会をとらえる理論なのである。

 

4.コーディネートを学習する

 

 ところで、記号価値の消費はコミュニケーションに似ている。たとえば「アウトドア派」という自己表現を意図してマウンテンパーカーを着ても、その意図どおりに他者が解釈してくれるとは限らないという問題は、言語コミュニケーションにおける伝達の難しさや誤解と似た問題である。その意味で、記号価値の消費は、非言語的コミュニケーションといえる。いずれにしても、他者を想定せずに成立する使用価値の消費(例:暖をとるためのマウンテンパーカー着用に他者はいらない)とは異なり、記号価値の消費は、その記号を解読してくれる他者のまなざしを常に想定せざるをえない。こちらの意図する記号を他者になるべく確実に伝えるために、消費者は、何らかのモデル(ステレオタイプ)を参考にコーディネート(種類の異なる複数のモノの組み合わせ)を身にまとう。


 たとえば、より確実に「アウトドア派」という自己表現を成功させるためには、マウンテンパーカー、トレッキングシューズだけでなく、腕時計G-SHOCKを付け、4輪駆動のSUV車に乗った方がいいかもしれない。こうしたコーディネートの参考となるモデルを、意識的であれ無意識的であれ、私たち消費者はどこかで学習している。どこかで見たテレビCM、電車の車窓から見える広告、どこかの店のマネキン、どこかのクルマのショールーム、アウトドアを趣味にもつ有名人のSNS上にアップされた写真、動画等々を、自らのコーディネートのモデルとして学習しているかもしれない。

 

5.アイドルユニットはなぜ入れ替わるのか

 

 そして、記号価値の消費のために消費者によってひとたび考案されたコーディネートは、しかしながら、その後も永久に通用することはない。なぜなら、記号は流行に応じて周期的に「更新」されるからだ。この「更新」をボードリヤールは「ルシクラージュ」という用語で呼んでいる。「ルシクラージュ」には三つの意味があるが、そのうちの一つは、「既存の記号内(モデルや組み合わせ)の入れ替え」としての「更新」である。


 既存の記号(商品名やブランド名)、すなわちすでにある記号はそのまま維持されて、その記号の「モデル」、記号を支える「組み合わせ」が更新されるという事態である。パソコンやクルマの商品名、ブランド名はそのままにモデルチェンジがなされるとか、アイドルユニット名はそのままに、メンバー構成(ユニット名を支える組み合わせ)が定期的に更新されるなどといった事例がまさしく「既存の記号内の入れ替え」としての「更新」にあたる。

 

6.ミネラルウォーターという商品の誕生

 

 二つ目の意味は「再発見」である。「再発見」としてのルシクラージュとは「新しい記号の創出」のことであり、さらに「すでに消滅したものを記号として再発見すること」を意味することもある。その代表的なものとして、「自然」から「商品」への移行が挙げられる。


 たとえば、かつては「自然」にあるものとしてただで入手できた「安全な水」が、都市と工業地帯の拡張によって希少価値をもち、もはやただでは入手できなくなり、水道代と引き換えに入手する商品となった。さらに「安全な水」を求める消費者に対してペットボトルの「ミネラルウォーター」という商品が誕生した。つまり、「自然」にあった安全な水が消滅したので、「安全な水」という記号を冠された「商品」として「再発見」されたということである。「新しい記号の創出」である。また「再発見」としてのルシクラージュの代表的事例として、「自然」から「商品」への移行のほかに、いわゆる「レトロブーム」(懐古趣味)も挙げられるだろう。


 たとえば、’90年代に流行していたファッション、すなわちいまでは消滅したファッションが「’90年代」という記号として現代に再発見され「流行する」という現象がそうだ。また、明治期の古い建築物を移築して集めたテーマパークなどもこれにあたる。いずれにしても、「レトロブーム」に見られるのは、「自然」から「商品」への移行の場合と同様、「新しい記号の創出」である。

(P.22-P.27 記事抜粋)

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