生活クラブグループ
市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

③資本主義の個別化社会を解体する(関西学院大学人間福祉学部教授 桜井智恵子)

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 企業が投資家の利益を誰よりも優先する株式会社のための法律は、19世紀半ばに英国でできました。その4年前の1856年に、当時広がっていた協同組合に関する初の法律が法制化されています。当時、資本主義の事業形態は新しく異例でした(1)。その後も、社会改革家や農民たちは都市の大企業の勢力に対抗するため、購買と流通を行う協同組合共同体を設立してきました。ただ、新しく登場した資本主義は際限なく自己増殖していく運動でした。


 生活クラブを立ち上げた岩根邦雄は述べています(2)。「資本主義の仕組みで飯を食い、しかも資本主義を批判する」。それは「陣地戦(グラムシ(編集部注1)が提起した)を続けてきたこと、市民社会のなかに永久陣地を構築していくこと」。さて、生産者と消費者の生活に根差した経済活動として、市場に対抗する共同購入事業はどのように展開できるのでしょう。

(1)ネイサン・シュナイダー『ネクスト・シェア ポスト資本主義を生み出す「協同」プラットフォーム』東洋経済新報社、2020年10、12頁。
(2)岩根邦雄「見取り図として使ってきたこと」『生活クラブという生き方』太田出版、2012年。
(編集部注1)アントニオ・グラムシ(1891~1937)。マルクス主義思想家でイタリア共産党創設者の一人。


1.資本制社会の暴力─責任のダウンロード

 

 資源を採取し、商品化し、人々が困窮し限界状況になってしまった資本主義社会は、必然的に「暴力」を展開することになりました。みかんの不作のように温暖化などによる収穫の不安定も含め、現在、搾取し尽くす資本主義の「暴力」が明らかになってきました。資本それ自身の存続に不可欠なこの暴力が「新自由主義」です。この暴力が広がり始めた80年代、企業活動のための規制緩和と民営化が何より重視され、国家は引き下がりました。


 ところがバージョンアップした新自由主義では、市場の自由を最大にするために国家が積極的に役割を果たすようになりました。その特徴は、あらゆる市民が「活き活き」と力を発揮し、国家の代わりをすることが期待され促されることです(3)。


 現代の新自由主義のキーワードは活躍、自立支援、地域責任、共助などです。たとえば、地域が行政とチームになり、支援活動を行うリスクについて次のように指摘されています(4)。新自由主義は「地域」を利用し「社会資本」というふうに位置づけます。地域と行政が連携し、政策やプログラムを作ります。まちづくりや社会福祉分野では、新自由主義的な目標を達成するために地元のボランティアなどが動員され「活性化」がキーワードとなります。その手法により、個人や地域への責任のダウンロードが行われている、というのです。


 これらの状況と生協事業を考えるために、現代の協同組合の骨格となっている「レイドロー報告」を見てみましょう。

(3)桜井智恵子『教育は社会をどう変えたのか―個人化をもたらすリベラリズムの暴力』明石書店、2021年、141-142頁。
(4)Jamy Peck・Adam Tikell(2002)“Neoliberalizing Space” Antipode,(Wiley online library)p.387-390.

 

2.新自由主義の策略と「レイドロー報告」

 

 1980年の第27回ICA(国際協同組合同盟)モスクワ大会にA・F・レイドロー(編集部注2)の報告『西暦2000年における協同組合』(以下、「レイドロー報告」)は提出されました。「レイドロー報告」の目的は、さまざまな協同組合が「西暦2000年まで事業を展開しつづける上での条件や環境」を考察し、協同組合運動に必要となる指針の提供でした。理論と実践を結び記された「レイドロー報告」は、資本主義諸国の協同組合に大きな影響を与え、事業の基盤がつくられてきました。


 「レイドロー報告」と並んで提出された共同文書が「西暦2000年における社会主義諸国の協同組合」です。本文書を提出したA・A・スミルノフ(ソ連)は、レイドロー報告が資本主義諸国の協同組合の現状や困難について広く情報を含めたと評価しましたが、協同組合が当面する問題の解決について正確な解答を示していないと批判しました。「資本主義の責任の論理的な追及を回避している」(5)。ただ、スミルノフは社会主義諸国の協同組合の紹介に止まり、具体的な展開は行なっていません。ならば「レイドロー報告」に分け入ってみましょう。


 レイドロー自身次のように述べています。「世界では長い間、各種の協同組合が運営されてきたが、貧富の差が小さくなっているというよりも拡大さえしている地域が数多くある」(6)。現状を批判的に記しますが、確かに「レイドロー報告」では「資本主義の責任の論理的な追及」はありません。報告のまとめとなる「将来の選択」の4つの優先分野の一つが「協同組合地域社会の建設」です。


 「住民が容易に通うことのできる協同組合サーヴィスセンターのなかに、それぞれの機能をもった組織を同居させることは可能である。その一般的な目的は、住宅、貯蓄、信用、医療、食糧そのほか日用品、老人介護、託児所、保育園などのサーヴィスを各種の協同組合で提供することによって、はっきりとした地域社会をつくりあげることでなければならない」(7)。そして「協同組合と国家」の節で重要な点として次のように強調します。


 「国家は、市民たちが生産そのほかの経済活動を自分たち自身でやればやるほど、国家とその機構への負担が少なくなることを知るべきである」(8)


 地域社会で市民サービスやケアシステムを市民がつくりあげることで、国家は負担が少なくなると述べます。レイドローは、国家の支配には注意を払いますが、市民を活躍させる新自由主義のメカニズムは想定していませんでした。この視点こそ新自由主義時代の現在、レイドローの現代的限界として立ち現れているのではないでしょうか。


 海外の生協のように地域社会の建設を目指し自分たちで経済を回し、政権も無視できない存在になるのは、下から上へのアップロードのグラムシ的変革として重要です。一方で、レイドローのいう国家の負担が少なくなる、地域へのダウンロードは、バージョンアップした新自由主義の策略と同じではないかと心配になります。「レイドロー報告」自体が取り込まれる閉じた論理を抱えている可能性があるのです。この点に関しては海外でも指摘され始めています(9)。それを、現在の国内の実践で考えてみましょう。

(5)今井義夫「『西暦2000年における社会主義諸国の協同組合』について」日本協同組合学会訳編『西暦2000年における協同組合[レイドロー報告]』日本経済評論社、1989年、216頁。
(6)同右、141頁。
(7)同右、175-176頁。
(8)同右、107頁。
(9)ネイサン・シュナイダー、前掲書、344頁。
(編集部注2)アレキサンダー・フレイザー・レイドロー(1907~80年)。カナダの協同組合運動家・教育学者。

 

3.新自由主義が誘う地域支援

 

 市民が苦労して運営している子ども食堂に見られるように、新自由主義の仕掛けに地域は利用されやすくなっています。協同は資本主義的秩序の反転ですが、搾取の手段として新自由主義的に使うこともできます。


 当事者が困窮している社会的な問題より重視するのが支援プログラムだったり、「誰も断らない」という善意で、関わる者や自治体職員が全力で働くシステムなどが見受けられます。たちまち困っている人々を支えなければならない状況はあちこちにあります。と同時に、困窮の大元である社会的課題は置き続け、地域活動に邁進してしまう状況もあり、それこそが新自由主義の特徴です。


 1980年代は共同購入運動を基幹として、様々な生活課題や社会問題を主体的に解決しようとする運動として協同組合は展開し始めました。ワーカーズコレクティブの運動は、「食」から「地域の助け合い」、地域福祉の事業に重心を移してゆきました。


 NPOやワーカーズコレクティブが行政とチームとなって行う実践は、地域ネットワークづくりと、それをこれからのモデルにしていく土台づくりという傾向があります。この取り組みにより、予算を含む国家的責任は限りなく縮小され、支援団体はささやかな補助金を受けることにより、責任は自治体や地域へとダウンロードされます。


 行政は、NPOなどを含む民間団体を用い展開する方法が増え、子どもの居場所づくり、まちづくり、公教育など急激に広がっています。行政との連携の名の下に、人件費を削減し、地域支援モデルを拡大させる新自由主義の手法です。実質は、国家や資本による地域や個人の収奪は強まります。地域ネットワークに関わる者はフル回転し「伴走型支援」を行い続けることになります。資本主義は支援者も収奪するのです。


 モロー(編集部注3)は『社会的経済とはなにか―新自由主義を超えるもの』で「社会的経済は経済的な事柄を社会的な諸問題と切り離すことを拒否している」(10)と述べます。協同組合事業を社会的経済に含めるとしたら、資本主義が作り出す就労や困窮という社会的問題と切り離して地域支援を行うことを拒否する、と読み替えることができるでしょう。

(10)J・モロー『社会的経済とはなにか―新自由主義を超えるもの』石塚秀雄ら訳、日本経済評論社、1996年、79頁。
(編集部注3)ジャック・モロー。フランスの社会的経済の実践家・理論家。

(P.103-P.108 記事抜粋)

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