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書評①『「消費」をやめる ―銭湯経済のすすめ』(平川克美 著 ミシマ社2014年)

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「ものを買うこと」の意味をもういちど考える

生活クラブ生協・東京 理事長 加瀬和美

 

1989年神奈川県相模原市で生活クラブ加入。夫の転勤で大阪府枚方市に6年居て、2001年に東京へ。
まち活動、北東京生活クラブ役員を経て、2019年から生活クラブ・東京役員を務める。

 

 衝撃的な題名である。「消費をやめたら生きていけないじゃん」と思ってしまうのは、私の頭に「消費とは生命が生まれて死ぬまでの過程そのものである」という生活クラブ消費材10原則の前文が浮かんでしまうからだ。本書でいう「消費」は、ちょっと違う。「生きていくために必要のないものを欲することであり」、「そういう欲望を満たすために、おカネを稼いで使うことを指し」ている。著者は、日本の高度成長時代を生きてきた「消費者第一世代」で、日本とシリコンバレーを往き来して大きなお金を動かしてきたビジネスマン。数々の経験から「『消費』をやめる」こと、「半径3キロメートル圏内の銭湯経済を大事にする生き方」に行きついた。「お金を稼ぐ」側からこれからの日本経済のあり方、消費のあり方を問うている。


 比して、私は「ものを買う」側から「消費」を意識してきたのだと思い知る。私は、平川氏のほぼ10年後に同様の時代を過ごしてきた。一般的なサラリーマン家庭で、大抵のものはいつでもすぐそこで買えるという環境に暮らし続けてきた。家電が増えていく様も体感した。「お金を出してものを買う」ことは至極あたりまえのことだったけれど、田舎の祖父母が米や野菜を作る姿、母が人に洋服を作って稼ぐ姿も見て育った。


 恥ずかしい話だが、私は小さい時から買い物が苦手で、すぐ近所の豆腐屋さんや八百屋さん、たばこ屋さんにお使いにいくのがいつも嫌だった。家を出て自炊するようになってからは当然のようにスーパーに買いに行くのだが、今度はたくさんあるなかで何を選べばいいのかわからず途方にくれた。1円でも安いものを買い求めるのが「賢い消費者」だというイメージも強く持っていたように思う。
 そんな私が生活クラブと出会って30年、いままでやめずに続けた理由の一番は、買い物に行かないで済むからだったかもしれない。だから私は、著者がいうところの「3キロメートル圏内の銭湯経済」をつくるのにはちょっと臆してしまうところがある。でも、選んでものを買うことが、生きづらい社会を変える力になることを学んだ。そして安心安全を得るために注文書に「1」と書くだけでなく、お金の行き先や作る人のことを意識し、人と人のネットワークをもっと強くしていかなければならないという思いが、ずいぶんと大きくなっている。

 

日本経済は、年間隔で大きな潮目の変化がある

 

 著者は「生きていく上での価値観を変えること」で「消費行動を変えることができるはず」で、「そのカギを握るのが、生産者としての側面を回復するということ」だという。そして「経済成長をしない社会を再設計することしかない」ともいっている。生活クラブ運動の目指しているところとかなり一致するのではないだろうか。


 本書が書かれたのは2014年、その後トランプ政権が誕生し、新型コロナのパンデミックが起こり、気候危機は進み、ウクライナやガザで戦闘がはじまった。著者はいう。「市場が永遠に拡大し続けることなどありえず、最後は、やけになった企業がスクラップ・アンド・ビルドで一か八か戦争をするか、もしくは地球環境がもたなくなって、環境そのものが汚染されてしまうシナリオが考えられます」。この筋書きは、増々真実味を帯びてきた。


 いま、市場にはすぐに食べられるものがあふれているけれど、一つひとつは劣化していると思うことが多くなった。第一次産業に従事する人はどんどん減っている。生きづらさは増すばかり。日本経済は、「だいたい18年間隔で大きな潮目の変化がある」という。前回は2008年のリーマンショックで、そこから18年目の年は、もう目の前だ。

(P.120-P.121 記事全文)

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