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④ドイツのエネルギー転換は原発事故への対応で決まった
早稲田大学名誉教授 坪郷 實)

【発売中!】季刊『社会運動』2024年4月発行【454号】特集:ワクワクする再エネ社会 脱原発の世界を歩く

脱原発とエネルギー転換の現局面

 

 ドイツは、2023年4月15日に3基の原発を廃炉にし、当初の計画から3カ月半遅れたが、脱原発を達成した。原発のある先進産業国の中で、脱原発を達成したのは、初めてのことである。2011年にメルケル保守リベラル政権が、脱原発とエネルギー転換を決めた直接のきっかけは東京電力福島第一原発事故であった。計画より遅れたのは、ロシアのウクライナ侵攻に際して、ドイツがエネルギー供給を気候適合的で、危機に耐えうるように作り直さねばならず、2022~23年の冬の対応の影響を受けたからである。


 この見直しにより、ロシア依存率は天然ガス55パーセント、瀝青炭(石炭)50パーセント、石油35パーセントであったが、一部他国からの輸入に切り替え、環境団体から異論があるが、液化天然ガス(LNG)受入ターミナルを建設し、2023年当初にはロシア依存率0パーセントを実現した。(https://www.bundesregierung.de/breg-de/schwerpunkte/klimaschutz/energieversorgung-sicherheit-2040098


 原発の廃炉を進めるが、高レベル放射性廃棄物の最終処分場問題は依然として未解決である。ドイツは、再生可能エネルギー(再エネと略)を拡充し、電力不足には陥っていない。連邦ネットワーク庁と連邦カルテル庁の最新の『モニタリング報告2023』(Bundesnetzangentur und Bundeskartellamt, Monitaringbericht 2023, S.147.)は、電力の輸出入について二つのデータ、国境を越える電力取引(実動)2022年の電力の輸出60・3TWh(電力量の単位、テラワット・アワー〔1兆ワット時〕)、輸入33・3TWh、物理的電力の流れ2022年輸出75・2TWh、輸入50・1TWhを公表している。近隣諸国間で電力のやり取りがあり、少なくとも2008年以降、ドイツは輸出超過である。たとえば、ドイツとフランス間の国境を越える電力の輸出入は、2022年輸出17・4TWh、輸入2・1TWhであり、物理的電力の流れでも、2022年輸出9・2TWh、輸入3・7TWhである。また、ドイツの電力輸入は、デンマーク(風力)、ノルウェー(水力)など、再エネの割合が高い国からのものが多い。


 ドイツは、エネルギー効率の向上を基盤にして、再エネを大幅に拡充し、脱石炭火力を進め、2045年に気候中立(1990年水準で温室効果ガス排出実質ゼロ)を実現することを目標にし、毎年の目標数値を、2021年連邦気候保護改正法で義務付けている。温室効果ガスの削減率は1990年比で2022年40パーセントである(連邦環境庁集計)。2023年の総電力消費における再エネの割合は約51パーセント(2010年17・1パーセント)と5割を超えた(BMWK, Energiewende direkt, 30.Jan. 2024)。


 現在の社会民主党、90年同盟・緑の党(緑の党と略)、自由民主党三党による信号連立政権(注)のショルツ首相は、再エネを拡充するために、2022年7月に「再エネ拡充加速のための一括法案」を成立させ、エネルギーの安定供給のための予防措置、負担軽減措置を決めた。
この一括法には2023年から実施された再エネ改正法に加えて、電力網の系統拡張の促進、洋上風力発電法、陸上風力発電法などが含まれる。陸上風力発電法は、国土面積の2パーセントを陸上風力発電に利用、許可手続きの迅速化の措置を規定する。再エネ改正法は、2030年までに電力消費の80パーセントを再エネにすることを目標にする。再エネ法は固定価格買取制から入札制度に転換しており、2022年7月以降、負担調整で再エネ賦課金(消費者負担)は課されておらず、2023年から廃止された。さらに、市民・地域主導のエネルギー転換を重視し、地域において再エネの受容を容易にし、市民によるエネルギー事業を促進する。そのために市民事業を2023年から入札制度から外し、入札なしで支払う。陸上の風力発電所プロジェクトに自治体が財政面で参加し、地域での受容を強化する。


 さらに、ショルツ政権は、連邦気候保護法の改正案を提出し、新たな気候保護プログラムを閣議決定している。なお、イギリスやフランスより対応が遅れたが、第四次メルケル大連立政権期の2020年に石炭発電廃止法を制定し、2038年(理想的には2030年)までに脱石炭を行う。ドイツは、エネルギー転換を進め、現在は産業、建物、交通、農業などの部門に再エネを拡充する部門間統合を進める新段階にある。このような道筋で、ドイツは持続可能な経済社会への移行期を歩んでいる。
 次に、ドイツの脱原発とエネルギー転換は、どのような政権の下で、どのような政治的決定や政策によって進められてきたのかを振り返ろう。

 

(注)この連立政権は、3党のシンボルカラー(社会民主党・赤、緑の党・緑、自由民主党・黄)にちなみ、「信号連立政権」と呼ばれる。

 

シュレーダー「赤と緑」の連立政権による「原子力合意」

 

 ドイツは、原発が稼働している産業国として脱原発の政治的決定を行い、「エネルギー転換のドイツモデル」を進行した。このモデルは、政権による政治的決定によるトップダウン型と市民主導、地域・自治体主導のボトムアップ型の両輪を効果的に組み合わせ、成果を挙げるという特徴を持つ。この政治的決定は、シュレーダー「赤と緑」の連立政権とメルケル保守リベラル連立政権という二つの異なる連立政権によって行われた。二つの政治的決定はいずれも原発大事故と関係している。


 1986年4月のチェルノービリ原発大事故により、ヨーロッパにおいて広範囲に放射能汚染が拡がり、市民の抗議の声が高まり、当時西ドイツの反原子力運動は復活した。野党の社会民主党は、8月にニュールンベルク党大会で「脱原発が10年以内に可能なシナリオ」を採択した。社会民主党は、かつて1970年代の社会リベラル連立政権期に原発を推進した。ドイツ労働総同盟や金属産業労働組合など、労働組合の大部分が脱原発へと転換した。また、緑の党は結党以来、脱原発路線をとり、即時の原発廃棄を提案した。この時の方向転換が、1998年連邦議会選挙後の与野党が入れ替わる政権交代で生まれた社会民主党(シンボルカラー赤)と緑の党(シンボルカラー緑)による「赤と緑」の連立政権を準備した。


 なお、1970年代からの粘り強い反原発運動が社会運動として政治に影響力を持っていた。1986年のチェルノービリ原発事故以降、世論調査で反原発が多数派になり、原発の新設は行われなくなった。この経過の中で多くの環境団体や環境政策に関する研究所が発展し、独自の調査研究に基づく政策提言活動を行い、エネルギー転換や気候保護政策の実現に大きな影響力を持っている。


 シュレーダー連立政権は、政権発足前の両党の連立協定において、エネルギー産業との合意に基づく「原発なしの新しい将来性のあるエネルギー・ミックスへの道」を明記した。政府とエネルギー事業者の交渉は20カ月かかったが、2000年6月に「原子力合意」に達した。2001年に協定文書が調印され、すべての原発は操業開始より32年で閉鎖される。当時の連邦政府は2018年に最後の原発の廃棄を、電力会社は2021年の撤退を期待した。


 すでにコール保守リベラル連立政権期の1990年に「再生可能エネルギーを公共系統へ供給する法」が制定され、最初の風力発電ブームが生じていた。これに代わり、上記の原子力合意の直前、2000年4月1日から再生可能エネルギー法(再エネ法)による固定価格買取制が始まった。再エネ法は、電力における再エネの割合の具体的目標を明記、系統事業者に対して再エネ電力の優先接続の義務付け、再エネ電力を原則として20年間固定価格で買取る。この制度は、日本で2012年に導入された再エネ促進制度の基になっている。


 この制度の下で、市民主導、地域・自治体主導のエネルギー転換も活発になる。たとえば、環境団体や市民グループがエネルギー協同組合(2008年144、2011年586、2013年888と急増)を結成し、再エネ(風力、バイオマス、太陽光、太陽熱など)を生産し、電力や熱(地域暖房など)を供給している。なお、ドイツでは、協同組合の一般法があり、2006年以降、「経済的目的」に加えて、「社会的目的、文化的目的」で3人(ないし法人)から設立可能で、個人が少額の出資金で参加できる。地域・自治体主導の動きとして、2007年から始まった「100パーセント再生可能エネルギー地域」プロジェクト、気候保護自治体など多様な展開がある。

 

福島第一原発事故とメルケル政権のエネルギー転換

 

 2009年連邦議会選挙で、社会民主党は戦後最悪の得票率で敗北し、キリスト教民主同盟・社会同盟と自由民主党による第二次メルケル保守リベラル連立政権が成立した。両党の選挙綱領は原発の稼働期間延長を含んでいた。同政権は、2010年秋に、32年間の稼働期間に加えて8~12年の稼働期間を延長する原発稼働期間延長法を制定した。これに対して、独立性の高い審議会である環境問題専門家委員会(SRU)、さらにドイツ環境保護・自然保護同盟(BUND)など環境団体から厳しい批判が出た。SRUのフォアオルシュティヒ委員長は、「(原発の)より長い稼働期間は、(政府の言う)再エネへの架橋ではなく、むしろ再エネのための投資の妨げになる」と批判した。


 この状況を変えたのは2011年3月11日の福島第一原発事故であった。事故直後に、メルケル首相は先の原発稼働期間延長法を3カ月間凍結し、古い原発7基の停止を表明した。メルケル政権は、連邦環境省に属する原子炉安全委員会がすべての原発で安全性の検証を行うことを決めた。他方、第2の委員会として「安全で確実なエネルギー供給のための倫理委員会(倫理委員会と略)」が設置された。核技術の専門家以外が倫理的観点から原子力エネルギーのリスクを新規に評価し、新方針をまとめる。委員は、元環境相、学術協会会長、宗教者、総合化学会社会長、元科学技術相、哲学者、経済学者、社会学者、政治学者、鉱山・化学・エネルギー産業労働組合委員長など17名、うち女性は3名である。


 メルケル首相による迅速な対応は、2つの州議会議員選挙が迫っていたからである。市民の間では、チェルノービリ原発事故時の放射能汚染が思い起こされ、社会運動も活発になった。環境団体が共同で主催して、脱原発の集会と大デモが4大都市で開催され、全体で25万人が参加した。3月27日に行われた州議会選挙では緑の党が躍進し、バーデン=ヴュルテンベルク州では、保守リベラル州政権が敗北、緑の党と社会民主党の州連立政権が成立し、初の緑の党のクレチュマー州首相が誕生した。

(P.43-P.49 記事抜粋)

 

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