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市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

①デンマークの民主主義が再エネ社会をつくる(ジャーナリスト ニールセン北村朋子)

【発売中!】季刊『社会運動』2024年4月発行【454号】特集:ワクワクする再エネ社会 脱原発の世界を歩く


――― ニールセンさんが暮らすロラン島では風力発電がとても盛んですが、再エネを選択する運動はどのように進められたのでしょうか。

 

 ロラン島には、たくさんの風力発電の風車が並び、コペンハーゲンなど大都市にも電力を供給しています。40年ほど前、ある人が自宅に風車を建てたことに始まり、その後、風力発電が地域にも環境にもよいエネルギーとして注目されるようになると、人びとの関心も高まり風車協同組合ができました。最初は否定的な住民もいましたが、話し合いが重ねられた結果、多くの住民が組合員になって風車が増えました。島が豊かになるだけでなく、地域で環境によいことに取り組もうという連帯感も生まれたのです。最近では、発電容量の大きい洋上風力も当たり前になりました。農業が盛んなロラン島では、藁などを燃やした熱エネルギーを地域暖房として供給したり、廃棄物処理場でコジェネレーション(熱電供給)を行うなど、再エネも多様化しています。


 デンマークが再エネに舵を切れたのは、環境や政治に対する人びとの関心が高く、民主的な対話が政策に生かされているからです。70年代には原発を導入するか否かの議論が活発に行われました。国は導入を目指したのですが、慎重論や反対意見もあり、環境NGOなどが「原発について知る時間をみんなに与えてほしい」と表明しました。議論を先導したのは、デンマークの民主主義を育てる学校「フォルケホイスコーレ」で学んだり、運営にかかわった人たちでした。国のエネルギー情報委員会の事務局長もフォルケホイスコーレの関係者だったため、最初から民主的な議論が促されました。国民は賛成、反対、それぞれの研究者や専門家の意見を聞く機会を持つことができ、一大議論が巻き起こりました。そのうちにスリーマイル島の原発事故が起こり(1979年)、反対の声が大きくなった結果、1985年に国は原発導入を断念したのです。

 

唯一の正解を求めるより問い続けることが大事

 

――― 大した説明もないまま、重要なことを政府が決めてしまう日本とは違いますね。民主主義を育てるために必要なものは何ですか。

 

 「教育」と「ジャーナリズム」です。私も日本で教育を受けましたが、民主主義について学ぶ機会はほぼありませんでした。民主主義は戦後、外国から与えられたと言う人もいますが、77年も経ってその言い訳はありえません。学ぶ機会がないのは、教育の問題です。


 デンマークで感じたのは、子どもの頃からタブーなく意見を言える自由が認められていることです。よく例として話すのですが、一つのブランコに何人もの子どもたちが乗りたがっているとき、デンマークの保育士さんは「自分たちで決めて遊んでね」と見守ります。すると子どもたちは「3回乗って交代すればいい」「私は5回乗りたい」「2人組になって小さい子は座り、大きい子は立ちこぎする」など話し合って、自分たちのルールを決めます。日本では保育士さんが子どもを一列に並ばせ、順番に遊ばせるのではないでしょうか。


 学校では当たり前を疑うクリティカル アナライシス(批判的分析)の手法を、どの授業でも用います。歴史の授業は、「なぜあの時代にこんなことを見誤ってしまったのか」「いまの時代、その考え方でいいのか」を考え、問い直す場です。正解は一つではないことを前提に考え続け、自分なりの考えを他の人と共有し、よりよい妥協点を見つける。そのような経験を重ねて民主主義を成熟させていきます。そういう問いの連鎖は、大人の社会でも新しいイノベーションを生む源泉になっています。


 ジャーナリズムに関して言えば、民主主義をアップデートしていくために必要なものなので、デンマークでは基本的にジャーナリズムを専攻しなければジャーナリストになれません。ジャーナリストは倫理観やジャーナリズムの責任について共通認識を持っているので、主張に右派、左派など違いはありますが、国民が知るべき問題から関心がそれることはまずありません。


 しかし、日本は先進国には珍しく、ジャーナリズムという学問自体があまりないため、いま何が問題でどういう視点で話し合うことが必要なのか、国民に何を周知すべきかといった共通認識を持たないまま、メディアの業界に就職し、働きながらOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)でジャーナリストが育っていく。だから優先的に報道すべき情報の共通認識がなく、「知っていれば面白い」程度のタレントのスキャンダルが大きく報道されるのです。優先順位を判断するリテラシーが、情報を伝える側も受ける側も育っていないため、たとえば気候変動など世界的に共有すべき情報が日本では足りないとすごく感じます。

 

コーヒー片手に対話する選挙戦

 

――― デンマークは投票率も高いですね。外国籍のニールセンさんも市会議員選挙に立候補されましたが、どんな印象を持ちましたか。

 

 デンマークでは選挙のときに、様々な場所で討論が行われます。中学校や高校でも実際の選挙と同じように、討論会を開き模擬投票をします。街宣車やスピーカーの使用が禁じられているので、候補者は広場やカフェにテーブルを出し、コーヒーなどを飲みながら有権者と政策について議論します。有権者も一方的に聞くだけでなく、自分の考えを話します。


 私がロラン市議選に立候補したのは、ロラン島とドイツを結ぶ海底トンネルの工事で、移民が急増していた時でした。自分なら移民と住民、両方の立場がわかると思って出馬しました。地方政治では外国籍でも3年以上居住すれば、18歳から立候補も投票もできます。日本のような供託金が不要なので、若者や外国籍の人も大勢立候補します。地方議員は無給ですが、私が立候補した選挙では25人の枠に98人が出馬し、それは活気がありました。


 討論会では激しい議論や政策批判はしますが、相手の人格の攻撃や否定にはなりません。また激しく議論した候補者同士でも、討論のあとで地域にできたアイスクリーム屋さんのフレーバーは何が好きか、などと質問して、お互いがニュートラルに戻れる場を作ります。政策では対立してもアイスクリームの好みが同じで盛り上がることもあります。


 私は落選してしまいましたが、討論会や街頭で知らない人たちとも対話できたのは、とても楽しく素晴らしい経験でした。こういった対話や議論が積み上げられて、政治にも反映されているのだと思います。そして日本と違うのは、当選したら終わりではなく、よい政治家として活躍してもらうために自分たちが育てようという主権者意識が高いことです。

 

――― 楽しく政治にかかわる……羨ましいですね。民主主義が育っていない日本では、何から始めればいいでしょうか。

 

 まず子どもや若者の問いに向き合うことです。「そんなことを子どもは考えなくていい」と言ってしまったら、ずっと考えないまま大人になるでしょう。子どもや若者が疑問に思っていることを全て聞いて、大人は答えを示すのではなく一緒に考える。そういう時間がない生活なら、生活スタイルを変えたほうがいいです。私も自分の息子の疑問に向き合う時間を持つことで、よい関係を保てたと思います。


 効率的に早く決めるのではなく、話し合い、熟慮することに時間を充ててほしい。家庭や地域で子どもが自信を持って疑問を口にできれば、民主主義を育てる第一歩になります。

(P.59-P.63 記事全文)

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