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②誰かの意見を鵜呑みにしない脱原発の実現はそこから始まる(芸人・記者 おしどりマコ)

【発売中!】季刊『社会運動』2024年4月発行【454号】特集:ワクワクする再エネ社会 脱原発の世界を歩く

酷い! 原発規制側と推進側の馴れ合いが復活

 

 2011年からずっと原発事故を取材している私にとって、2023年は重い年でした。2011年の福島第一原発事故を見て、世界でいちはやく、脱原発に国策を切り替えたドイツ。そのドイツが脱原発を達成した2023年に、日本は、古い原発の運転年数上限を撤廃したのです。何でしょう、この差!


 これは日本が福島第一原発事故を完全に軽視した証左なのです。その理由は三つあります。
 一つ目。原発の寿命、運転上限は原発事故後の2012年に定められました。通常40年、一回に限り20年の延長を認める。この運転上限をたった12年で撤廃してしまった。


 二つ目は規制側と推進側の馴れ合い。原発事故前、原子力を推進する資源エネルギー庁と、原子力を規制する原子力保安院は、同じ経産省の下に存在していました。経産省は原子力推進側の下に在ったので、原子力規制は不十分になっていた。そういう反省のもと、原子力保安院は解体され、原子力規制側は経産省の下ではなく、独立した三条委員会(公正取引委員会や国家公安委員会などと同じ)として原子力規制委員会が2012年に発足します。その事務方が原子力規制庁。しかし、原発の運転上限の撤廃に関して、資源エネルギー庁と原子力規制庁が、水面下で何度も会って、事前協議していて、委員会や検討会で議論される前に、運転上限の撤廃のシナリオを既に作っていた、ということが2022年末に内部情報がリークされて分かりました。


 原子力推進側と規制側が馴れ合っていたから事故になった、という反省で分けたのに、また事故前と同じように馴れ合っていたというわけです! このときはさすがに原子力規制庁の会見や記者レクでは記者が皆、怒りました!

 

科学にも、技術にも基づかない原発運転年数の上限撤廃

 

 記者からの突き上げによって、規制庁とエネ庁が面談したあとに規制庁が作成したという資料が公開されます。2023年2月3日です。もうそれがツッコミどころ満載で。法改正案のメリット、デメリットという部分が全て黒塗りなのですが、その理由が「公にすることで不当に国民の間に混乱を生じさせるおそれがあるという理由により不開示にしております」いやそれどういう意味? 逆に知らされるべきでしょう! 「最小限の改正」が「一回に限り」を削る、と書かれている文書も出てきました。どういうこと? 「現行は、一回に限り20年延長できるので、一回に限りが取れると、20年、40年、60年、80年と、20年ずつ何度でも延長できる規定になるということです」実質的な運転上限の撤廃が、なんで「最小限の改正」なの? 最大の改正だよね? 「要は、5文字削るだけなので削る量が少ないです、という意味で…」一休さんのとんちか!


 ね、本当に酷いでしょう? このアホみたいな記者ブリーフィングの10日後の2月13日に、原子力規制委員会は、原発の運転上限の撤廃の法改正を承認しました。たったお一人、石渡明委員だけが反対し続けましたが。当日の委員会を取材していた私は、一人だけ何度も的確な反対意見を述べ続ける石渡委員を見て悔しくて腹立たしくて涙が滲みました。なんでこの当たり前の意見が大多数ではないんだろう! 最後の決を取ったときの石渡委員の端的で明確な意見を記します。


 「私の意見は、この改変、法律の変更というのは科学的・技術的な新知見に基づくものではない。それから、安全側への改変とも言えない。それから、審査を厳格に行えば行うほど、将来、より高経年化した炉を運転することになる。こういったことにより、私はこの案には反対いたします」


 三つ目は原子力規制が政治から独立せず、また取り込まれたことです。事務方の規制庁だけでなく、5人の原子力規制委員のうち4人はもうすっかり推進側のよう。2012年の規制委員会発足時からずっと取材をしているからこそ分かります。


 私は情報開示請求で、規制庁側が公開しなかったエネ庁の説明資料を入手しました(次ページ資料)。その内容はすごかった!「運転期間をめぐるこれまでの議論」の資料には「自民党提言」の資料が2ページ、「自民党2022年参議院選公約」というページまでありました! 何なの、エネ庁は自民党の出先機関なの? こんな資料つくって原子力規制庁に説明してたの? そしてエネ庁の説明資料にはご丁寧にこんなメモまでついていました。「安全規制が緩んだように見えないことも大事」


 規制庁は、エネ庁から自民党公約の資料の説明を水面下で受け、規制委員会は国会スケジュールに合わせてろくに議論せずに承認したのが、古い原発の運転上限の撤廃の法改正でした。


 ふわー! 書いててイヤになりますね、読んでてもイヤでしょう! でも、知って! そして一緒に怒ってください! 私は最初に「これは日本が福島第一原発事故を完全に軽視した証左」と書きましたが、「日本が」というのは、「日本政府が」ではなく、「日本に住んでる私たちが」だと思っているからです。

 

ドイツの高校生は、国会と政府の事故調報告書を読んで質問してきた

 

 日本の原発事故をきっかけにドイツが脱原発に国策を転換したことを知り、ドイツの方々は一体どんな感じ?と思い、2014年から2019年まで、毎年ドイツやヨーロッパのあちこちに取材に行きました。その中で毎年10校以上で原発事故の取材報告をさせて頂き、そこでの質疑応答が興味深かったのです。


 例えば高二の男の子の質問。「原発事故に詳しい日本人がいたら聞きたいと思っていました。あなたは福島第一の非常用電源装置は本当に津波で流れたと思いますか?」なぜそんなに詳しいの?「国会事故調と政府事故調の報告書の英語版をインターネットで読みました。僕は地震で原発事故が発生したと思うけど、無理やり津波のせいにしているように読み取れました。日本は地震が多い国だから、地震で事故が起こったとなると、他の原発が再稼働できなくなる。だから無理やり津波のせいにしたと僕は思うのです、あなたはどう思いますか?」ひょっとして他にも事故調報告書を読んだ方いる? するとけっこうな数の学生の手が挙がるのです! これ多分、脱原発の市民団体の集会より、事故調の報告書を読んだ割合は多い…


 毎年ドイツに行くたび、学生の関心の高さに腰を抜かしました。それであちこちの学校で聞いてみたのです。

(P.65-P.70 記事抜粋)

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