①自治体だからこそ、国のエネルギー政策は変えられる(世田谷区区長 保坂展人)
脱原発を公約に掲げての当選
─── そもそも衆議院議員(当選3回)だった保坂さんが、地方自治体に関心を向けたきっかけは何だったのでしょうか。
2011年3月の東日本大震災と原発事故当時、私も含めて私が区長になることを予想した人はゼロでした。
立候補しようと決断した理由は、3月下旬に福島県南相馬市へ行ったことです。私は当時、杉並区の救援物資を届けるプロジェクトをしていたのですが、訪問した南相馬市の桜井勝延市長(当時)が、原発事故直後に国から何の情報や方針もなく孤立し、物資が届かないとSOSを出していました。現地に行ってみると、確かに現場には国や県、東京電力の姿形もなく、市民から見えるのは市長だけでした。原発事故の脅威とともに、このような大災害の時に首長が果たす役割と責任を痛感し、地方自治体から政治を変えたいと思ったのです。
区長選の公約には脱原発を大きく掲げました。世田谷区民や支援者からは「脱原発などのエネルギー政策に、自治体ができることはないのでは?」という意見もありました。しかし、原発事故直後で脱原発の機運が一気に高まっていたことも追い風となり、当選することができました。
─── 脱原発政策の公約を実現するのは大変なことですが、何から始めたのでしょうか。
区長に就任して半年間は、エネルギー政策を転換する道すじを考えました。
第一段階は、放射能データの開示です。空間線量や、砂場やプールの水の放射線量がどのくらいなのか、区内の公園や学校で計測しました。環境保全課の職員たちが区内を走り回ってくれました。 当初、都内には空間線量のモニタリングポストが新宿に一カ所あるだけでしたが、世田谷区で計測をはじめると、その一月後ぐらいから23区内のあちこちで計測が行われるようになりました。次は給食の食材の検査でした。これは子育て中の親たちからも要望や相談があり、話し合って必要な検査機器の調達から始めました。
そして第二段階は、再生可能エネルギー(以下、再エネ)への転換に向けての取り組みでした。当時、エネルギーシフトという言葉がよく使われていましたが、世田谷区は23区で最初に、電力自由化に伴い電力の入札を始めました。2011年の秋には今後のエネルギー政策を考えるシンポジウムを開催し、世田谷区の2つのエネルギー方針を発表しました。一つ目の方針が「エネルギーの地産地消」です。区の方針を受けて、「せたがやエネルギー」プロジェクトとして区の外郭団体である世田谷サービス公社が、大手メーカーとコスト面で交渉し、家庭での太陽光発電の設置を支援しました。現在も区として、太陽光だけでなく、太陽熱や断熱工事を希望する家庭には、支援を行っています。
ただ、それだけだと再エネの進展に限界があります。そこで二つ目の方針として掲げたのが「自治体間連携」でした。そのシンポジウムに登壇された南相馬市の桜井市長は、広範囲に津波の被害を受けた田畑を大規模な太陽光発電に生かし、都市部に電気を送るアイデアを語っておられました。当時は自由化されていたのが大口電力だけで、家庭用小口電力の自由化はまだでしたが、将来は必ず自由化できると確信していたので、経産省、環境省、そして生活クラブやパルシステムをはじめ、エネルギー事業に関心のある人びとに参加してもらい、私の呼びかけで新電力研究会を立ち上げ、自然エネルギー勉強会を開催しました。
そこで私が考えたキーワードに「電力の産直」がありました。「生協の野菜などと同様に電力も産直できるはずでしょう」と、自治体間連携を提案したのです。
地域の強みを生かした再エネが、都市の一般家庭にも!
─── 再エネの自治体間連携は、画期的なアイデアですね。詳しく聞かせてください。どこの自治体と連携しているのでしょうか。その電気は世田谷区のどんなところで実際に使われているのですか。
3・11後に、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さん(32ページ参照)たちの呼びかけで、市民エネルギーを作ろうという動きが活発になり、福島県でも会津電力などが生まれました。さらに各地で太陽光の電力会社を作ろうという動きが盛り上がりましたが、意外にも自治体間連携という発想はなかったのです。
自治体間連携を進めないと再エネの利用率は上がるはずがないのですが、最初は「そんなことが本当にできるのか」と多くの人が半信半疑でしたね。私たちは新電力研究会で勉強会を重ね、環境行政として水素や再エネに力を入れている川崎市にも参加してもらい、自治体の関係者、事業者も交えた勉強会を開催しました。
その時、ちょうど長野県の阿部守一知事から、「廃校になった学校施設を世田谷区の子どもたちに林間学校などで使ってもらいたい」とのお話があり、こちらからも「長野県の水力発電でできる電気を分けていただけないか」とお願いしたのです。これが本当に動き出せばエネルギー改革に一つの道筋が見えてくるからです。その結果、日本の東西で60?Hz、50?Hzに分かれている周波数の違いを乗り越え、2017年には長野県の二カ所の水力発電所から、世田谷区の保育園、41園に給電されました。
続いて、やはり世田谷区と交流が深かった群馬県の川場村で、木質チップを燃やし発電するコンテナ型のバイオマス発電の電気を、区民の希望者が購入できることになりました。
その後は、環境省の調査を契機に青森県の弘前市と協定を結んで、豪雪対応型の太陽光発電から電力を購入しています。主に郷土を応援したいという青森県人会の人たちなどが使っておられ、発電所の見学や観光など、「顔の見える電力交流」を行っています。
他にも新潟県の十日町市から地熱発電(温泉によるバイナリー発電)の電気を希望者が購入しています。これらが実現した大きな要因として、世田谷の再エネ電力の小売を担う㈱UPDATER(旧みんな電力)という事業者が急成長したことがあります。「顔の見える電力」というキャッチフレーズの下で、個別に「○〇というお店がこの再エネ電力を使っています」とか、「正午の段階では何パーセントどこの再エネ電力を使っています」といった具体的な情報がわかる仕組みを開発したことが大きかったと思います。2019年には世田谷区として再エネ利用拡大を目指し(せたがや版RE100)、区役所の本庁舎の電気は再エネ100パーセントに切り替えました。東京都庁よりも早かったですね。
こうしたことは世田谷区だけでなく、どこの自治体でもできることなんですよ。そこで他の自治体の参考になればと考え、2015年から「自然エネルギー活用による自治体間ネットワーク会議」を開催しています。関心のある全国の自治体に集まっていただいて報告会をしています。世田谷区の事例だけでなく、横浜市と青森県横浜町との「横横プロジェクト」、あるいは経済産業省や専門家の考えも、どんどん全国に広められるようにしています。113の自治体が参加したこともあり、今後も続けていく予定です。
ただし、自治体間連携は技術的に多くのハードルもあり、現在はまだ区内への再エネ給電も保育園や幼稚園、学校、バス営業所、一般家庭の一部です。区役所の本庁舎で使う電力は再エネ100パーセントですが、現在掲げている区の環境基本計画は、区民の再エネ利用率25パーセント以上を目標にしているものの、まだ6・5パーセント程度にとどまっています。
そこで第三段階では、企業や一般家庭への給電をどのように拡大していくかが課題になっています。給電の規模を拡大して、世田谷区内の1000軒、2000軒のエリアを、「ゼロエミッションゾーン 」とか「ゼロエネタウン」(注)のような地区にできないかと考えています。同時にそれだけ大規模の再エネ電気を供給してくれる自治体も探しています。
2022年10月には山形県置賜地域の「おきたま新電力㈱」を視察しました。置賜地域は全世帯の電力消費量に匹敵する自然エネルギーが発電されており、おきたま新電力では、この自然エネルギーを活用して電力の地産地消を目指しています。 例えばバイオマス発電では、牛舎から出る糞尿を溜めて、隣の発電施設の発酵炉に入れてメタンガスを回収します。残渣を良質な肥料にすることで完全にリサイクルできる仕組みになっており、400キロワットの大きなタービンが回っていました。また、岩手県の八幡平には、ポテンシャルが非常に高い「松川地熱発電所」があります。長野県にある規模の大きな水力発電などからも供給してもらうことで、給電世帯を数百軒、数千軒にすることを追求したいと思っています。
(P.77-P.83 記事抜粋)