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②<ルポ>村の資源の活用からエネルギーシフトへ
西粟倉村の歩み

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森林を資源として生かしていく決断

 

 姫路市から高速道路を乗り継いで一時間ほどで、瀬戸内海と日本海の中間あたりに位置する西粟倉村に到着した。村の中央を流れる吉野川沿いの細長い平地に集落と農地が連なり、その両側には植林された山々が広がる。村の面積の9割以上を山林が占める山間の村だ。吉野川沿いには国道373号線、鳥取自動車道、智頭急行線が平行して走る。京都・鳥取間を結ぶ特急は日に6往復あり、京阪神方面と鳥取方面どちらにも交通の便がよい。国道373号線は、江戸時代には参勤交代が通った因幡街道だ。


 村役場は国道沿いに建つ「あわくら会館」のなかにある。役場庁舎、村議会議場を兼ねたホール、サークル活動や会議ができる生涯学習施設、図書館が一体化した施設だ。2021年に完成した。一目で先進的な大規模木造建築だとわかる施設のなかは、ほぼ木で埋めつくされた心地よい空間になっている。ここで西粟倉村の地方創生推進室の上山隆浩さんに話を聞いた。


 上山さんは「この建物は、『百年の森林構想』のショウウインドウになっているんです」と言う。「百年の森林構想」こそ、西粟倉村の現在の発展の原点となる構想だ。


 この村はかつて林業が盛んだったが、木材の輸入自由化と円高によって1980年ごろから林業経営は厳しくなり、2000年初めには村の財政基盤は岡山県でもっとも弱い自治体になっていたという。近隣自治体との合併の話が持ち上がったとき、村は村民へのアンケートを行い、2004年に合併に参加しない選択をした。


 そこで村は総務省が助成する「地域再生マネージャー事業」を申請し、2004年から実施した。地域再生のための具体的・実務的ノウハウを持った企業や人材が最長3年間市町村に常駐する事業だ。当初、村としては温泉施設などの赤字をどうするかが一番の課題と考えていたが、この事業のなかで、より抜本的に地域の資源を生かそうと森林に目を向けることになったという。


 村内の森林のうち約84パーセントが戦後に植林されたスギやヒノキで、50年生、60年生と、ちょうど材木として出荷できる時期だった。


 「それから村民で話し合いを重ね、2008年に『百年の森林構想』が生まれました。50年前に3代前の世代が植えた森林をきちんと管理して50年後に美しい森林を残そう、という構想です」


 このころ、村内でも集中豪雨による土砂崩れが起き始めていた。森林をきちんと整備することは木材としての価値を育てるだけではなく、地域のレジリエンスを高めることにもなる。


 ただし、従来の林業のやり方では、木材の価格は安く、家具や内装材に使えない木材は市場に出すだけで運送料や手数料で赤字になる。森林資源を生かすには、新しい価値をつくりだしていく必要があった。翌2009年からビジョンを実現するための「百年の森林事業」が始まった。

 

林業の六次産業化から始まった「百年の森林事業」

 

 村は山の所有者を訪ねて、費用負担なく木材販売の収益の2分の1を受け取れる(残りの2分の1は村の収入になる)という内容で、村が集約し山を管理することを了承してもらうことから始めた。
 「百年の森林事業」では、生産した木材を村外の市場に出すという一次産業としての林業にとどまらず、村の中で加工(二次産業)、流通・販売(三次産業)までを一体的に手掛ける林業の六次産業化(一次産業×二次産業×三次産業)を図った。


 「通常、林業の集約化は森林組合が行います。私財である山の木について、村が税金で管理することは本来できません。ですが、村が主体となって集約化をすることで、林業だけでなく、脱炭素や生態系、地域おこし、災害防止なども考えることができるようになったのは、非常に大きかったです」と上山さん。


 こうした動きの中で、村民やIターンの若者が起業し、家具製造販売や建築まで一貫して手掛ける事業を始めていく。2009年には、地域再生マネージャー事業のコンサルタントとして村にかかわっていた人が木材の原木流通、製材、製品製造販売等を行う「㈱西粟倉・森の学校(現㈱エーゼログループ)」を起業。DIY用の無垢材の製品がヒットし、小規模ならではの機動性を生かして住宅リノベーションも請け負い、現在、木材事業部だけで22人のスタッフを擁する。村民の働き口の一つが出来たことになる。

 

木材をエネルギーとして活用する

 

 十分に手入れされてこなかった山が多いため、良質な材木となる樹木は多くない。また村では50年後に樹齢100年の良い木を残すため、細い木や弱い木を間引く「劣性間伐」を行っている。そのため、伐採した木材は建築材や家具に使えないものも多い。


 2011年には、それらをエネルギーとして村内で活用しようと、村の温泉施設に薪ボイラーを導入、燃料を供給しボイラーを管理する事業は2012年にIターンの若者が起業した会社が担った。


 「灯油代として村外に出ていたお金を村内に回すことができ、新たな仕事を生み出すことができました。現在は、温泉施設3カ所で薪ボイラーを導入し、年間21万リットルほど使っていた灯油の8割を木質バイオマスに替えています」(上山さん)。建築や家具には使えないような木材を、エネルギーとして利用できる仕組みをつくったことの意義は大きい。


 さらに、村は2017年に木質チップボイラーによる地域熱供給システムを整備した。ボイラーで温めた水を地下に敷設したパイプを通じて、あわくら会館、福祉施設(デイサービス、保健管理センター、診療所)、保育園、小学校、中学校に送り、暖房を賄い給湯にも使っている。現在、木質バイオマス、小水力発電、太陽光発電によるエネルギー生産量は2万1451ギガジュール程度で、村全体の車や産業部門で使うエネルギーの15パーセント程度を自給しているという。


 また、小型バイオマスガス化発電機も設置し、発電した電気は通常時は地域熱供給センターと福祉施設で自家消費し、災害時など中国電力が停電した場合は、デイサービスと診療所の2カ所に電力を供給する仕組みだ。村内のバイオマスエネルギーを活用することで、災害時のレジリエンスも高めている。

(P.87-P.91 記事抜粋)

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