生活クラブグループ
市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

③生活クラブのエネルギー政策のこれから(生活クラブエネルギー事業連合 副理事長/生活クラブ生協・神奈川 専務理事 半澤彰浩)

【発売中!】季刊『社会運動』2024年4月発行【454号】特集:ワクワクする再エネ社会 脱原発の世界を歩く

エネルギー転換の基本を考える

 

チェルノブイリ原発事故という原点

 

 私がエネルギーの問題にかかわるようになったのには、二つの大きな機会がありました。一つは1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故です。8000キロも離れた日本に放射能を降らせ、私たちの消費材である「わたらい茶」が汚染されました。


 当時、私は生活クラブ連合事業部(現生活クラブ連合会)開発室で加工食品の開発担当をしていました。その当時、日本には食品の放射能基準はなく、輸入食品の暫定基準だけがあり、その基準はセシウムで370ベクレルでした。生活クラブでは子どもへの影響を考えて、この基準の10分の1(37ベクレル)を暫定的に自主基準としました。


 私は、あらゆる生活クラブ消費材を分析センターに持ちこみ放射能検査をする担当もしていました。トルコ産のローレルやイタリア産のスパゲティからは放射能が検出されましたが、国産の消費材からは検出されないだろうと思っていました。しかし、その年の5月に収穫され製品となったわたらい茶から、自主基準をオーバーする放射能が検出されたのです。その茶葉で入れたお茶からは何回測っても検出されませんでしたが、その年のお茶は供給停止になりました。供給停止にあたって、生産地を訪問し生産者の方たちと夜を徹して話し合いをしたのを、いまでもよく覚えています。涙しながら話しました。生産者には何も責任はないのです。

 

生活クラブ風車建設構想

 

 もう一つは、生活クラブ神奈川40周年の記念事業として風車建設を進めることでした。検討のなかで、生活クラブ東京、埼玉、千葉にも呼びかけ、首都圏の四つの生活クラブの共同による「生活クラブ風車建設構想」を決定し、その事務局を担いました。


 風車の建設は、脱原発・再生可能エネルギー(以下、再エネ)による地域社会づくりを進めるスタートだと位置付けました。組合員の学習会がたくさん開催され、喧々諤々の意見が出て、反対もたくさんありました。賛成の人は大変多かったのですが、なぜか反対の人の声が大きいんですよね。いま考えると再エネがまだ広がっていない時期で、再エネをバッシングするために原発推進派がつくった誤解と偏見に満ちたプロパガンダそのものの質問が多かったのです。


 その議論の最中の2011年3月11日に、東日本大震災・東京電力福島第一原発事故が起こりました。まさか日本で原発事故が起こるとは思ってもいませんでしたが、生活クラブ風車の建設議論は原発事故によって圧倒的多数の賛同を得ることになりました。この風車建設構想は、再エネによる発電事業を広げること、再エネによる電力を供給すること、そのために生活クラブの電力会社をつくり組合員へ再エネによる電力を供給することを計画しました。2012年3月に「生活クラブ風車 夢風」が稼働しました。この取り組みが現在の生活クラブグループのエネルギー政策のもとになりました。この時、大変なエネルギーを私は組合員からもらいました。


 風車の建設は「木を植えることに似ているなぁ」と思います。森には数十年後を見据えて木を植える。森は二酸化炭素を吸収し生態系をつくり環境を保全する。そして森の木々は30年、50年、100年後に伐採されて家をはじめ私たちの暮らしのために使われます。おじいさんの植えた木を孫の世代が使う、世代をつないでいきます。未来をつくるために植えるのです。風車や再エネも数十年後の未来をつくるためにいま、つくるということが似ています。未来に継いでいく取り組みに夢があります。

 

エネルギーを市民の手に

 

 日本でも戦前は自治体や協同組合による地域電力会社がたくさん存在していました。電力は水道と同じように自治体がつくって地域のために供給していたのです。地域の資源を地域で活用していたのです。


 「富国強兵」政策と蒸気機関の普及で、燃料はそれまでの木炭から石炭へ、そして戦争を行うために電力は中央統制されました。戦後、石油、天然ガス、原子力と、エネルギーは人びとの手や生活の場面からは離れたものになり、東京電力などの地域別の電力会社が、発電・送電・配電・小売まで地域独占する体制がつくりあげられます。この電力システムが、大量の温室効果ガスを発生させ地球過熱化を生み出したのです。


 エネルギー自給率も、1960年は58・1パーセントでしたが、現在は約12パーセントです。化石燃料・原発から再エネに転換することの意味は大きいですが、昨年(2023年)、ドイツ・デンマークで視察してきたことは「エネルギーベンデ(転換)」から「活用」に大転換している実態でした。そこにこれからの日本社会が目指すエッセンスがありました。

 

これまでの生活クラブのエネルギー政策

 

 生活クラブ東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏4単協では2012年秋に「自然エネルギー社会づくりにむけた構想」を決定し、2013年2月に構想の具体化とヒントを得るために「自然エネルギー&市民電力ドイツ、デンマーク視察ツアー」を実施しました。(今回(2023年)の視察はこの視察からちょうど10年の節目にあたります)そして、首都圏4単協の構想をもとに、2013年秋に生活クラブグループ(連合会)で「生活クラブ総合エネルギー政策」がとりまとめられ決定しました。


 政策の柱を「脱原発・エネルギー自治・温室効果ガスの削減」とし、省エネ運動、再エネ電源の開発、再エネ電力の選択を、「減らす」「つくる」「使う」運動と事業として展開することとしました。そして2014年に電力小売会社である㈱生活クラブエナジーを設立しました。


 現在、「生活クラブでんき」は契約者数1万8000人、高圧接続契約者100社。自前・連携している再エネ発電所70カ所、卒FIT(FIT期間終了後)発電所200カ所です。「生活クラブでんき」の2022年度再エネ比率は85・4パーセント、自治体との連携で発電所の利益を地域に還元する基金は2カ所になりました。


 生活クラブ連合会では2022?26年度の第7次中期計画を策定しました。そのエネルギー政策では、気候危機の解決とエネルギー自治をすすめていくために、脱原発・脱炭素、再エネの導入を推進し、「生活クラブでんき」の再エネ100パーセント、広報強化、生活クラブエネルギー事業連合の設立、「つながるローカルSDGs」の推進と地域におけるFEC自給ネットワーク(FEC自給ネットワークのコンセプトは経済評論家の故・内橋克人氏が提唱したもの)構想の実現を掲げています。この間の到達点をまとめたデータが前ページの表です。

 

再生可能エネルギーを道具とした地域づくり

 

〈庄内FEC自給ネットワーク構想〉


(構想は左ページ上段図参照)

 

 2019年4月に本格稼働した山形県・庄内遊佐太陽光発電所(1メガワット)の剰余を活用し、発電所のある遊佐町、酒田市、庄内の生産者と生活クラブの連携でエネルギーの地域循環とFEC自給ネットワークを広げるために、5月に庄内自然エネルギー発電基金の創設にむけた共同宣言と協定書を締結。2020年には、1000万円の初めての寄付を実施しました。毎年1000万円を積み立てていき酒田市、遊佐町のFEC自給ネットワークを広げる市民団体に助成を実施していきます(送電量と基金拠出額の推移などは左ページ下段表参照)。

 

この間の主な助成


・遊佐町蕨岡地区刈取組織、南西部地区刈取組織 トラクターの購入
・TOCHiTOプロジェクト(酒田市定住型拠点)
・生活協同組合庄内親生会
 除草剤を使用しない有機栽培のための「アイガモロボ」導入
・庄内協議会 高たんぱく飼料用米栽培実験

 

〈にかほ市連携推進協議会〉

 

 設置地域に資する風車を目指し、2013年に地域間連携による持続可能な自然エネルギー社会づくりに向けた共同宣言が行われました。風車を縁とした「夢風ブランド」の開発と生産者連絡会の設立、共同購入の取り組み、にかほ市自然エネルギーによるまちづくり基金条例の制定などを実現してきました。にかほ市風力ゾーニング事業が開始され、2022年ににかほ市風力発電事業と生活環境等との調和に関する条例が制定されました。


 2030年までの脱炭素にむけた計画づくりのために2023年から協議会がスタートしました。「にかほ市自然エネルギーによるまちづくり基金」に「生活クラブ風車夢風」から毎年、売電量の一部拠出しており、5年で1023万円となっています。

(P.96-P.102 記事抜粋)

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