①1980年代以降の日韓協同組合の連携の歴史日本協同組合連携機構(JCA)特別研究員 国際協同組合同盟(ICA)アジア太平洋調査委員会前委員長 栗本 昭
【新刊】季刊『社会運動』2024年10月発行【456号】特集:社会的経済に向かう韓国市民運動 ー『韓国協同組合運動100年史』翻訳出版記念
初めて訪れてから35年の間に韓国は近くて遠い国から多くの信頼できる友人がいる国に変わった。最初の海外出張からは50年経ったが、今では日韓の協同組合の関係者と研究者は最も身近なパートナーとなり、お互いの経験から学ぶことが多い。この小論では国際関係と研究の分野で筆者がかかわったことを中心に日韓の協同組合間の連携の歩みを振り返りたい。
協同組合間の国際交流
日韓の協同組合間の交流の草分けとなったのは1983年に始まる生活クラブ生協と韓国の信用協同組合、さらに翌年からのハンサルリム生協の交流であった。のちに日本側ではグリーンコープ、パルシステムも合流し、韓国側からは女性民友会生協、ドゥレ生協、アイコープが加わった。こうした交流の推進者として、当時生活クラブ生協の国際活動に携わった丸山茂樹氏の活躍があった。1999年に生活クラブが韓国の女性民友会生協、台湾の主婦連盟生協とともに開始した「アジア姉妹会議」は現在でも毎年交流している。
遅ればせながら、日本生活協同組合連合会(日本生協連)も1990年から日韓交流に加わった。大谷常務理事と私はソウルで韓国消費生協研究会の李漢玉代表、信用協同組合研修院の金栄注院長に草創期の生協を案内していただいた。この間、神戸大学で博士号を取ったキム・キソプ氏とも情報交換する機会があった。1999年に韓国で生協法が制定されてからは、日韓の医療生協、大学生協の間で活発な交流が始まった。
一方、農協陣営では1990年にJA全中、韓国農協中央会、台湾省農会が「東アジア農協協力協議会(EAOC)」を設立し、1998年にはモンゴル農協中央会が加わった。ほぼ毎年持ち回りでリーダーの会議を開催し、世界貿易機関(WTO)、食糧安全保障、農業の多面的機能などの問題について話し合った。また、韓国農協中央会の要請により、2015年から全中は韓国農協組合長研修を受け入れてきた。漁協の分野でも全漁連は韓国のカウンターパートと漁業交渉とともに連携をすすめてきた。
労働者協同組合の分野でも日本の全日本自由労働組合(全日自労)の活動家と韓国の生活困窮者の自活事業の関係者の学びあいが行われ、また、生活クラブのワーカーズ・コレクティブの活動が韓国の女性組合員に影響を与えたと考えられる。
国際協同組合同盟(ICA)を通じた交流
1988年以降、日本生協連はアジア生協協力基金を通じてアジア各国の生協の職員研修、女性や若者の参加を促進する取り組みを始めた。韓国からの参加者は当初は大規模スーパーマーケット(ハナロマート)を運営する農協関係者が多かったが、次第に新興の生協関係者にシフトしていった。1998年の「ICAソウル総会」の際、筆者はインドのマーダフ・マダーネ氏とともにアジアにおける協同組合研究ネットワークとして「ICAアジア太平洋調査委員会(AP-CCR)」を設立した。
2020年にICA創立125年、アイデンティティ声明25周年を記念して開催される予定であった「ICAソウル大会」はコロナ禍のため翌年開催されたが、「協同組合のアイデンティティを深める」というメインテーマをもとに、韓国、欧州、米州の3つのタイムゾーンを結ぶハイテクの会議となった。参加者の過半数は韓国の生協の女性組合員リーダーであったが、それはこのテーマに関する関心の高さと高額の参加費を負担できる生協の経済力を反映していた。日本からも30名ほどが実参加し、分科会で5つの発表を行ったが、筆者も全体会のラウンドテーブルで発言した。大会では英・仏・西のICA公用語のほかに韓国語が使用されたが、その同時通訳を担ったのは新設の通訳・翻訳協同組合であったことも特筆される。
(P.79-P.81 記事抜粋)