①理想と現実の狭間で考える「組合員主権」と「政治的自由」の価値
白井和宏(市民セクター政策機構研究員)
【まもなく発売】季刊『社会運動』2025年1月発行【457号】特集:いまこそ、協同組合の出番 2025年は国際協同組合年
食料システムの崩壊、格差・貧困の拡大、国際的な紛争の増加など、世界は危機にある。しかも政治に対する市民の期待とは裏腹に、自民党の裏金問題・旧統一教会との癒着問題が明らかになった。ところが2024年10月の衆議院選挙では自民党が大幅に議席を減らしたが、政権交代どころか以前と変わらぬ政治体制が続いている。
最大の原因は53・85パーセントという低投票率だ。2010年代以降、半分近くの有権者が投票に行かなくなった。半数もの有権者が政治をあきらめ、主権者としての権利を放棄している限り、たとえ協同組合が事業を通して最善の努力を尽くそうとも、組合員の生活は悪化の一途をたどるだろう。
日本の協同組合は新たな(そして、古くからの)「主権」と「政治」という課題に直面している。2025年の国際協同組合同盟(ICA)協同組合原則(アイデンティティ)改定を機会に、「組合員主権」と「政治的自由」の価値について考えたい。
1.協同組合は、なぜ誕生したのか?
(1)フランス革命の情熱に支えられたパリの労働者協同組合
「協同組合」はいつどこで誕生したのだろう。1832年にはフランスで「労働者生産協同組織助成法」が制定され、1849年には「労働者協同組織連合」が結成された(注1)。パリだけでも300もの労働者協同組合が創設された。『レ・ミゼラブル』に描かれたように、産業革命によって都市に移動した農民たちは、女性や子どもも工場労働者として酷使され、凄まじい搾取と貧困が蔓延した時代だ。
労働者協同組合は、労働者が自らを組織化することで、自己の経済的自立と社会的解放を夢見た運動であり、「自由・平等・友愛」を掲げたフランス革命の情熱に支えられていた。しかも経営者と利用者に分離していった。その後の他の協同組合と異なり、より協同組合らしい協同組合だったといえる。
(注1)河野健二編『フランスの初期社会主義』(平凡社1979)
(2)現実的な「ロッチデール先駆者協同組合」の成功
ところが資金に乏しく事業が長続きしなかった当時の労働者協同組合の存在は、ほとんど忘れ去られてしまう。
その一方1844年に、イギリスで「ロッチデール先駆者協同組合」が設立された。いまも保存されているマンチェスターの小さな店内には、当時販売していた砂糖、小麦粉、バター、オートミールが陳列されている。この時作られた「ロッチデール原則」は、「品質や分量をごまかさない」「掛売をしない」「代金は引渡しと同時に支払う」「剰余は購買力に応じて組合員に配分」「出資金に対する利子を3・5パーセントに抑える」という極めて現実的・具体的な“商売”のルールだった。これが基礎となり、少しずつ改訂を重ねながら現在の協同組合原則に至る。こうして、一般的には、1844年にイギリスで設立された「ロッチデール先駆者協同組合」が近代における最初の協同組合と言われるようになった。
(3)理想主義者ロバート・オウエン(1771年~1858年)
「ロッチデール先駆者協同組合」を実際に立ち上げたのは「オウエン主義者」と呼ばれた、ロバート・オウエンの信奉者たちであり、協同組合運動の父と呼ばれたオウエン自身は理想主義者だった。
オウエンは1790年にマンチェスターの紡績工場で成功する。さらに1800年にはスコットランドの紡績工場の共同経営者となり、2000人の労働者を雇用する「綿業王」になった。大成功をおさめた彼は労働者の生活改善や教育に取り組み、工場に幼稚園や共同購入の店舗を設置した。1825年にはアメリカに渡り、協同村「ニューハーモニー」の建設を試みたものの失敗に終わる。1839年にはイギリスに戻って協同村を作ろうとしたものの全財産を失い、失意のうちに1858年に亡くなった。
オウエンは、私有財産制度を批判するとともに、社会環境を良くすることで人間性を高めて理想社会を実現しようと考えた理想主義者だった。だが社会思想家フリードリヒ・エンゲルスからは、著書『空想より科学へ―社会主義の発展―』のなかで、“オウエンはユートピア主義者でしかない”と強く批判されたため、左翼陣営のなかでは長きにわたって、オウエン=空想的社会主義者(あるいは改良主義者)という見方が定着していた。
しかし、ベストセラーとなった『ゼロからの「資本論」』(NHK出版2023)の著者、斎藤幸平氏は、エンゲルスの盟友だった「マルクス本人は、むしろコミュニズムの基礎は協同組合的生産、労働者協同組合だというふうに理解していた」と協同組合の価値を積極的に評価している(それにもかかわらず、協同組合とコミュニズム、あるいは資本主義に代わるもう一つの社会のあり方について、協同組合陣営の内外でほとんど議論が広がらないことは残念でならない)。
(P.39-P.42 記事抜粋)