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④原州協同組合運動の新たなアイデンティティのための小考 ―原州協同社会経済ネットワークを中心に
朴 俊英(原州協同社会経済ネットワーク理事長)

【まもなく発売】季刊『社会運動』2025年1月発行【457号】特集:いまこそ、協同組合の出番 2025年は国際協同組合年

1.「原州協同社会経済ネットワーク」のこれまでと現在の課題


 原州協同組合運動の求心点である「原州協同社会経済ネットワーク」(以下「原州ネットワーク」)は2024年、創立から21年が経過した。2003年に、原州地域の協同運動を目指す8団体が集まり「原州協同組合運動協議会」を設立。この団体が現在の「原州協同社会経済ネットワーク」へと拡大再編され、2024年9月現在で、52の団体・個人(団体42、個人7名、事業利用組織3)、協同組合、および社会的経済団体、共同体組織、その他、労務士や専門家などの個人が参加し、地域で社会的経済運動を展開している。韓国社会における多様な民間の結社体運動の中でも、原州における協同組合をはじめとする社会的経済は、経済的自立の基盤を形成する持続的な挑戦を行ってきた。そのことが、他の結社体部門の運動とは異なる点だろう。原州ネットワークは、過去21年間、民間の自発的経済運動を追求する協議体としての役割を忠実に遂行してきたのである。

 さらにさかのぼると原州の協同組合運動は、1965年に、池学淳主教と无為堂張壱淳が出会ったことから始まった。その目標は、各時代の社会問題を解決すること、当時の状況の中で疎外された経済社会的問題に直面する民衆(労働者、農民、坑夫、都市貧民など)の生活問題を直接解決することにあった。そして翌66年には信用協同組合運動を立ち上げ、73年の南漢江の大洪水の時には、協同方式による災害対策事業を行った。70年代には、坑夫たちの生活改善のために信用協同組合と消費組合運動を広げ、85年には、生命思想に基盤を置いた「原州消費者協同組合運動(原州ハンサルリム運動)」を創設した。そしてこの流れが、2003年に原州協同組合運動協議会の設立につながり、2013年には、社会的協同組合としての法人格を持つ「原州協同社会経済ネットワーク」へと発展していったのである。このような歴史と活動が、韓国社会の中でも原州を特別な地域へと押し上げ、韓国の社会運動と社会的経済運動家たちからの注目を集めることになった。再言すれば、无為堂張壱淳と池学淳主教という思想的指導者の存在と、これらを総和する生命思想があったからこそ、韓国のみならず世界から注目されたと言える。

 しかし、原州の協同組合運動が目指した、経済的自立を基盤とする生活経済共同体は、はたしてどこまで実現されたのだろうか。また経済的土台は地域住民とどのような影響関係にあるのかについて検討することは、原州ネットワークが21年目を迎える今、重要な点である。なぜなら現在、韓国における社会的経済は、政府への依存が進み、民間の社会的経済協議体(またはネットワーク)は中間支援機関に変容しつつあるため、市民大衆に認められる代表的な商品や、社会サービスを生み出せないでいるからだ。民間の自発的協同組合運動として始まった原州もまた、社会的経済が制度化され、次第に広がるに伴って、原州ネットワーク自らの意志とは関係なく注目され成長してきた。このような量的成長が質的成長に結びついているのか確かめることは、これからの原州の協同組合運動、さらには社会的経済、そしてその中心にある原州ネットワークの発展のために重要である。

 また、原州ネットワーク内部における社会的経済組織間の同質性が縮小する傾向とともに、差異が拡大しつつある。そのため、協同組合運動の重要な性格である共同・連帯による地域社会の変化のための介入戦略が具現化していないという問題が起きている。その原因は原州ネットワーク運動のアイデンティティが合意されていないことにある。本論考は原州の協同運動の求心点である原州ネットワークのこうした状況を克服するために、新たなアイデンティティの形成の方向性について、5つの原則を中心に提示しようとする試論である。

(P.125-P.128 記事抜粋)

記事タイトル:原州協同社会経済ネットワークを中心にしたアイデンティティのための小考 執筆者:朴俊英 氏(原州協同社会経済ネットワーク 理事長)

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