生活クラブグループ
市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

●生活クラブと韓国協同組合の交流
檀園信用協同組合·常任監査 朱 寧悳/京畿道議会政策支援官 崔 珉竟

【まもなく発売】季刊『社会運動』2025年7月発行【 459号】特集:生産する消費者が時代を変える 物価高に抗する

朱 寧悳さん 講演
最初の頃は、生活クラブを勉強し、だんだん、お互いの活動のやりとりをするようになっていった


 私は農家に生まれ、大学卒業後、数年間乳牛を育てていた者として、人間にとって大切なものを生産する農民の力が本当に弱いのはどうしてなのか、学生時代から考えていました。けれども、その答えは、「歴史的にずっとそうなっていた」ということ以外は出せませんでした。

 悩んでいる時に、半月面の隣村で小学校の先輩であり農民運動と社会運動をしていた李健雨先生(注1)に出会いました。

 韓国では朝鮮戦争以降1980年代に入っても軍事政権が続いていたため、政権に反対する意見を言う人はアカ(共産主義者)だと言われていました。李先生についても近所の人たちから「あいつはアカだから危ない」と幼い頃から聞いていました。そんなにアカだと言われていた方だったので、自分でも知らないうちにできるだけその方を遠ざけようとしていたのです。その李先生に運命のように出会い、私は農民運動と社会運動を知ることになったのです。

(注1)李健雨(1932年、京畿道華城郡半月面生まれで、2002年に亡くなる)先生はソウル大学校美学科を卒業し、青年の時から、農民運動家であり社会運動家として活動した。70年代当時、農協が協同組合としての役割を果たせずにいると認識し、1972年半月信協を創立。以後、理事長を歴任した。先生は80年代に入って農協はもちろん、信協も協同組合らしい姿を失いつつあると思っていたところ、日本の生活クラブ生活協同組合を紹介され、指導者たちに会った後、彼らの協同組合の活動を導入し、韓国でも協同組合運動に新しい風を巻き起こそうと亡くなる日まで努力した。

崔 珉竟さん 講演
「自分で考え、自分で行動する」
その意味が理解できた生活クラブの長期研修


 私は住民生協という設立されたばかりの生協から、1990年12月から91年10月まで生活クラブの研修に派遣されました。

 住民生協は、李海学牧師によって73年に城南市で設立された住民教会が母体となり89年に設立された生協です。住民教会は貧民地域である城南市で、信協、保育園、歴史教室、外国人労働者の家、共同購入販売場などを運営し、民主化運動と南北統一運動の拠点でした。

 80年代半ばから京畿地域の信協と生活クラブとの交流がありましたが、信協のなかの販売所は生協ではありませんでした。そこで生活クラブ連合会(当時は生活クラブ東京の連合事業部)が、「生協設立のための人材を支援するから人を派遣して」と要請し、89年に朱寧悳さんが初めて研修生となりました。90年には信協京畿連合会と生活クラブ連合会とが契約し、私はその時、3人派遣された研修生の一人でした。そのうち生協運営の経験者は私一人でした。

(抜粋)

生活クラブと韓国協同組合の40年以上にわたる交流をテーマにした記事の冒頭部分です。朱 寧悳氏と崔 珉竟氏による講演内容が紹介されており、韓国と日本の生協交流の歴史と理解を深める内容が示されています。

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