「高校野球」と人権/差別、大人たちの責任は?
外国人人権法連絡会事務局長 瀧 大知
夏の風物詩=「全国高等学校野球選手権大会」(以下、「高校野球」)をイメージする人は多いだろう。第1回は1915年に開催された。1924年には阪神電気鉄道の三崎省三専務(当時)が日本での野球人気向上を想定、また、それまで「高校野球」で使っていた球場が観客を収容しきれなくなり阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)を建設した。同年8月13日に「甲子園」で第10回大会が催された(阪神甲子園球場HP参照)。
2024年には第106回を迎えた(甲子園球場100周年)。メモリアルな大会は明るい話題に限らず、差別表出の場にもなった。ここでは当該事案における「高校野球」の課題、具体的には主催者の「高野連」を含む「大人たちの責任」を考えたい。
甲子園に響いた韓国語の「校歌」
第106回全国高校野球選手権大会は、2024年8月23日に決勝日を迎えた。結果は京都国際学園(京都市東山区)が優勝した。
そして、同校の活躍と共に注目されたのが韓国語の校歌であった。この理由、それは前身が在日コリアンの生徒が通う民族学校であったことに由来する。京都国際のHPによれば、1947年に「京都朝鮮中学」が開かれた。1958年に「京都韓国学園」(京都府知事認可)が設立、その後、2003年に学校法人「京都国際学園」となり、学校教育法第一条校の認可を受けた。翌年、新たに「京都国際中学高等学校」が開校した。現在は日本国籍をもつ生徒の比率が高い。
硬式野球部の創部は1999年、この年に「高野連」に加盟した。
学校に投げつけられた誹謗、ヘイト
以下、フォトジャーナリスト・安田菜津紀のポストである。「在日コリアンのハルモニとお話をしていたら、甲子園での京都国際の校歌がラジオで流れ、朝鮮語が聞こえてびっくりして一生懸命、歌詞を書きとった、次の試合も楽しみになった、と。ネット上はヘイトスピーチの嵐だったけれど、こうやってハルモニたちのささやかな喜びにつながっていた」(アカウント名「安田菜津紀 Dialogue for People@NatsukiYasuda」2024年9月5日16時38分 *以下、SNSの投稿は全て2025年5月10日閲覧)。
斉唱された校歌は明だけでなく、日本の植民地主義を背景にした暗い情動も喚起した。SNS上には京都国際に対する嘲笑や誹謗、排外主義的な投稿が無数に書き込まれた。例えばYouTubeには「超悲報 夏の甲子園で京都国際が優勝し試合後に韓国語の校歌が流れる」(「堕ち行く 中韓@FallingDown-CK」2024年8月23日)と題した動画がある。コメント欄には「こんな高校に参加資格を与えるなよ!」「不快な校歌だからテレビを消した」「ハングル文字を見るだけで吐き気がする」「高校野球が乗っ取られた日」「もう殺意レベル(-_-#)」「通名はやめないとな」「日本が侵食される…」といった書き込みが見られる。
明確な人権侵害/ヘイトスピーチ投稿も散見された。京都府は悪質な4件について、京都地方法務局とサイト運営者に削除要請を行った。西脇隆俊(現)知事も定例記者会見(2024年8月23日)で「インターネット上で、民族差別と見られるような悪質なコメントが見受けられます」「こうした差別的な投稿はあってはならない」「許されない行為ですので是非慎んでいただきたい」と非難した(京都府HPより)。
人権と「高校野球」、その「在り方」を模索するために
かねてより「高校野球」は選手の人権、生命に関わる難点が指摘されてきた。2023—24年に「朝日新聞」は暴力的指導の問題等を扱った特集「高校野球、アップデートしていますか?」を組んだ。体罰や「坊主」「丸刈り」(=髪型統一)を取り上げたノンフィクションライターの中村計と松坂典洋(弁護士)による『高校野球と人権』(KADOKAWA、2024年)も出版された。文化社会学を専門とする松谷創一郎は年々の気温上昇、真夏の炎天下で連日の試合を強いられる選手、とりわけ投手の連投を「『残酷ショー』と呼ぶほかない(中略)公然虐待」と批判する(注1)。
では、京都国際への差別事案において、主催者「公益財団法人・日本高等学校野球連盟」(以下、「高野連」)はどのような姿勢であったか。管見の限り、差別を非難する声明等が発せられた様子はない。連盟のHPにも決勝終了後は寶馨(現)高野連会長による「講評」の掲載(2024年8月24日)以降、同大会に関するエントリーはない。果たして、この非—対応は適切なのか。ここには規範的な意味をめぐる課題があるのではないか。
一つは蓋然性の高さである。事態は事前に予見可能であった。2021年、京都国際は全国ベスト4に進出したが、このときも差別投稿が確認されていた(府は13件の削除を要請)。その経緯から京都府は事態を憂慮、2024年は決勝日前(19日)からネットモニタリングを実施していた(注2)。
加えて、理念や教育的機能との関係である。この検討の基礎となるのは「日本学生野球憲章」であり、同文書は「高校野球」を筆頭に学生野球の理念や方針を示した、いわば最高規範である(「高野連」HP参照)。憲章は憲法が保障する「教育を受ける権利」に触れ、教育活動の一環であることを強調する。「学生野球は、この権利を実現すべき学校教育の一環として位置づけられる」、他校との試合や大会への参加等の交流を通じて、一層普遍的な教育的意味をもつものとなる」。その上で第2条では「学生野球の基本原理」として、8つの項目を挙げている。松谷はその内の「スポーツ障害予防への取り組みを推進する」に言及し、「残酷ショー」は「それをまるで無視」しているという。他方、同条には「平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成を目的とする」「一切の暴力を排除し、いかなる形の差別をも認めない」ともある。
こうした点を踏まえるならば、106回大会の差別問題に対して、何かしらの対応はあり得たのではないか。もちろん「高野連」は行政=法的な主体ではないが、差別事案が起きた際、それを「許さない」「選手(生徒)たちを守る」との声明を発することは容易である。かつ憲章・基本原理の具現化、その教育的機能を踏まえたとき、そのような規範的な姿勢こそが要請されるのではないだろうか。むしろ非―対応は誤ったメッセージ/教育機能(=差別の放置)を伝達してしまう。
もちろん、以上の論点は夏&選抜を主催する「朝日新聞」「毎日新聞」にも該当する。人権的な観点から「高校野球」の在り方が問われている。必要なのは「大人たち」の責任、「アップデート」であろう。
(注1)松谷創一郎「高校野球を『残酷ショー』から解放するために─なぜ「教育の一環」であることは軽視され続けるのか?」Yahoo!ニュース(2015年8月4日)
(注2)京都新聞「甲子園Vの京都国際高校への差別投稿、京都府知事が削除要請 韓国語校歌などに中傷相次ぐ」(2024年8月23日)
(全文)