市民セクター政策機構顧問だった岩根邦雄が、2024年12月に逝去した。享年92歳だった。
生活クラブ創生前夜、若き岩根は二つの転機をくぐった。1960年の日米安保条約改正反対闘争の取材経験を機に
報道写真家の道を断念。入党した日本社会党(当時)の内実に早々に幻滅。その経験を経て、地域に根差した社会運動を目指して
東京都世田谷区で任意団体の生活クラブを1965年に結成、68年に生協法人化し初代理事長に就いた。
80年に退任後、市民セクター政策機構の前身「社会運動研究センター」を設立した。
運動を持続的に地域で組織するために始めた事業それ自体が自己目的化することへの自制を込めた
「生活クラブから生活クラブ生協へ、そして生活クラブへ」という当時のスローガンは、
下記に引用する『社会運動』創刊号(80年2月)巻頭の辞で解題されている。
「社会運動研究センター設立の計画は、生活クラブ15年の活動のなかで考えた問題意識と希望によるものです。(中略)
それは運動の実践こそが連帯を育てる唯一のものであり、その実践の理論化が社会発展の原動力となるからです。
なによりも人間社会の運動形態を『社会運動』としてとらえ、その成熟をめざす知的作業が必要です。(中略)
生活クラブの果たす役とその限界を超えることが重要だと考えるからです」
後付けだが振り返れば、生活クラブは社会的連帯経済の先駆けと言えるのではないか。
今号の特集テーマに因み、そして生活クラブ60周年に寄せて、岩根邦雄を追悼する。
(抜粋)
