生活クラブグループ
市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

●岩根さんの「台所から政治へ」がせっけん運動の原点でした
ヱスケー石鹸株式会社 代表取締役会長 倉橋公二/常務執行役員 小林 衛

【まもなく発売】季刊『社会運動』2025年10月発行【460号】特集:もっと社会的連帯経済

社会的意義を踏まえた運動とともに


 「生活クラブ生協創設期の頃は工場長だった私ですが、毎日フォークリフトで発送先別に荷を移動させていたなかで、大量の粉せっけんを発送する取引先が現れました。首を傾げていたら、生活クラブでした」と倉橋さんは振り返る。ヱスケー石鹸と生活クラブの取り組みが始まった1973年頃のことである。「私の叔父・倉橋六郎が営業担当で、生活クラブを優先する経営方針を積極的に進めていました。それは、社会的意義を掲げてせっけんに取り組む“運動家”たちの情熱に惹かれたためでした」

 背景には、戦後急速に広まった石油系合成洗剤による皮膚障害や環境汚染が顕在化する一方で、昔ながらのせっけんを使おうという消費者運動の広がりがあった。1969年には日本生活協同組合連合会が石油系の有害物質を使用しない高級アルコール系合成洗剤をコープ商品として開発し、生活クラブも一旦は採用した。しかし、自主的な調査や学習会を通して疑問の声が上がり、粉せっけんを選ぶ組合員が増えていく。74年には生活クラブのプライベートブランド(オリジナル消費材第2号)の「粉状せっけん」が誕生。粉せっけんの利用が80パーセントに至ったのを機に、生活クラブはコープ商品の取り組みを中止し、77年4月からヱスケー石鹸のせっけん類のみに絞る決断をした。

 「生活クラブは要求が多いんです。一般の市場なら原料や製造工程の詳細は『企業秘密』で済むのですが、生活クラブは情報開示や組合員による製造現場の監査もある。それに応えて取り組むうちに、ヱスケー石鹸はどんどん純粋な方向に導かれてきたと言えます」と倉橋さんは話す。

(抜粋)

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