生活クラブグループ
市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

「米は積ませぬ!」


 魚津市は富山県の北東部にあり、富山駅から魚津駅までは電車で約30分。米どころらしく、車窓から一面に広がる田んぼが見渡せる。

 魚津の駅前で魚津歴史民俗博物館の麻柄一志館長と待ち合わせ、車で向かったのが、富山湾。観光客にとっては蜃気楼で有名だが、この一帯が1918年の米騒動の現場にあたる。

 「近隣の水橋や滑川などでも魚津と同時期に米騒動が起きており、どこが最初かは諸説ありますが、役所や警察の記録、新聞記事では魚津の7月23日朝というのがもっとも早いようです」と麻柄さん。経験した人もすでにおらず、忘れられかけていたが、100周年にあたる2018年に研究者らが集まって研究発表やシンポジウムを行った。いくつもの事実が判明したが、まだ不明な点もあるそうだ。

 米騒動の原因は、第一次世界大戦後の物価の高騰、さらにシベリア出兵(注)が行われるのを見越した投機的な米の買い占めなどがあり、米の値段が全国的に急騰したためと言われる。わずか半年ほどで米価は1・7倍になり、家族に食べさせる米も買えなくなった。

 「『漁師の一升飯』という言葉があり、男たちは大きなわっぱにギュウギュウに詰めたご飯を食べていました。家族だと1日3升の米が必要で、米の値上がりは死活問題でした」と麻柄さん。

 7月23日に何があったのか。海に流れ込む鴨川の両側には、かつて漁業を生業とする猟師町(漁師町)があった。朝8時頃、米価高騰に苦しむ新下猟師町(現・諏訪町)の女たち50人近くが、北海道への米の輸送を行っていた蒸気船・伊吹丸が魚津に寄港し、米の積み出し作業を始めたのを目撃したのが、ことの始まりである。

(抜粋)

季刊『社会運動』461号の誌面サンプル。室田元美氏による「ルポ 米騒動発祥の富山を訪ねて」の冒頭ページです。富山県魚津市にある「米騒動発祥の地」記念石碑と旧十二銀行魚津支店の倉庫裏のモノクロ写真が掲載され、1918年の米騒動の歴史的背景や現代の米不足問題との関連性に触れる導入文が記載されています。

インターネット購入