●遊佐町の水害支援と米不足のなかでの連帯
遊佐町共同開発米部会会長 今野 修/遊佐町共同開発米部会事務局長 池田恒紀/生活クラブ生活協同組合・神奈川副理事長 連合消費委員長 籠嶋雅代/生活クラブ事業連合生活協同組合連合会常勤理事・ビジョンフード推進部長 鵜澤義宏
生活クラブの支援活動があきらめかけた生産者を勇気づけた
鵜澤 豪雨災害後、私が最初に遊佐町を視察したのは2024年8月1日でした。杉沢地区を中心に甚大な被害が出ていて、土砂や様々な漂着物で田んぼが埋まり、畦畔や道が崩れ、いたるところが通行止めになっていました。このままでは稲は枯れる。収穫は? 組合員が食べる米は? 米作りの継続は?…不安が一挙に押し寄せました。その後、9月から10月中旬まで延べ256名の生活クラブの組合員、役職員、地域関係者が田畑などの砂利や漂流物の撤去や、住居の泥かきやごみ出しなどの支援活動に当たりました。あれから1年。振り返っていかがですか。
今野 これまで災害のない地域と言われていたので、あのような事態は衝撃でした。ちょうど稲に穂が出始めるとてもデリケートな時期で、追って花が咲くタイミングできれいな水を入れなければならないのに取水設備も土砂に埋まっていました。懸命な作業でなんとか水を入れて稲の多くは育ったものの、土砂や流木を撤去しなければ田んぼに刈り取り機械を入れられません。
「今年の収穫はあきらめよう」「無理して刈るより共済金でやり過ごした方が楽だ」という声も聞かれました。でも、ちょうどその頃スーパーの棚から米がなくなる衝撃的な米不足が起きて、長年生活クラブと交流を重ねてきた開発米部会のメンバーからは「米を待っている生活クラブの組合員に届けたい」という声が出て、当面の災害復旧とその先の春の田植え作業に向けての段取りを全員で真剣に話し合いました。
そうするうちに組合員も役職員も支援に来てくれて、部会では、「生活クラブが我々のパートナーでよかった。恥じない米作りをしよう」「災害のときに入ってくれた田んぼでまた米が採れたと報告したい」という思いが強くなりました。「あきらめかけたときに支援があり、希望が見えた」「組合員がここは自分たちの田んぼだと言ってくれて、やらなければと思った」という声も聞きました。最も被害が大きかった杉沢地区でも、なんとか全農家が収穫まで漕ぎ着けたときは思わず涙が出ました。生活クラブの人たちは、提携生産者以外の田んぼや住居にも入って復旧作業を率先して手伝ってくれて、最初は「うちは生協には出荷していないから」と遠慮する人もいましたが、手伝ってもらううちに生活クラブに親近感を抱くようになりました。
池田 今回の水害支援活動で、生活クラブはものすごく積極的に町にかかわってくれる熱意のある人たちだと伝わりましたね。地元では体制が整えられずボランティアの受け入れを躊躇するなか、外のパートナーである生活クラブが自分たちで移動手段、宿泊、食事、飲料水など具体的に工面しながら、遊佐町や関係機関とも一緒に話し合って進めてくれたのが、本当にありがたかったです。当初、地元民は「他所の人たちがなんでここまでやってくれるの?」と驚いたようでしたが、地域で被災しなかった人たちも「自分たちもやらなくちゃ」と動き出し、JAの事務職員なども一緒に作業に加わりました。生活クラブの動きが、地元の意識を変えたのです。この光景を町民は見ています。遊佐で語り継がれる大きな行動だったと思います。
(抜粋)








