第2章 キリスト教界における協同組合運動の歴史と理念
チャン・ギュシク
1.キリスト教界が積み重ねた協同組合運動の歴史
1910年代、平壤の勤倹貯蓄殖産組合と物産奨励運動
キリスト教界〔韓国語でキリスト教(기독교)は一般的にプロテスタントを指す〕における最初の協同組合運動は、1910年代に平壤のキリスト教界を中心に展開された貯蓄組合である。大韓帝国の末期には、自強啓蒙運動のなかで殖産興業が奨励されたため、その方針に基づいて平壤のキリスト教者たちは貯蓄組合を組織した。勤勉で質素な生活をし、組合で貯蓄した資金によって企業を設立するなど、殖産運動を展開したのだった。いくつかの事例を以下に紹介する。
「勤倹貯蓄殖産組合」の設立を提案したのは、新民会〔1907年設立の朝鮮の民族運動団体。1911年朝鮮総督府により大規模な弾圧を受け、関係者数百名が検挙されて事実上解体した〕の幹部として活躍したキム・インジュプ(김인즙)だった。吉善宙(길선주)、モフェット牧師(Samuel Austin Moffet)をはじめとする、長老派教会とメソジスト教会の信徒500~600人によって組織され、組合員は毎月25銭ずつを貯蓄した。そして1917年には、1 次事業として200人の信徒をパートタイムで雇用し、靴下を作り始めた。その靴下は、勤倹貯蓄殖産組合の製造部の総務だったホン・リンギュ(홍린규)が経営する反物屋で販売する他、キリスト教界を対象に販路を開拓していった(1)。
「貯金組合」は1910年以前から信徒たちが中心になり、毎日2銭5厘ずつ積み立てて設立された組織である。そして1920年2月には、資本金50万円(払込金12万5,000円)で平安貿易株式会社が設立した。1万株のうち4,326株を保有したのは、ハン・ユンチャン(한윤찬)、チェ・マンス(최만수)、パク・ギョンソク(박경석)、イ・チュンソプ(이춘섭)、ヤン・スンホ(양승호)、イム・ソクキュ(임석규)、イ・ジェホン(이재홍)、キム・ドンウォン(김동원)など8人の大株主だったが、残りの株は113人の株主が保有した。貯金組合を通じて少額の資本を集めて、貿易会社を設立したのである(2)。
「平壤貯金組合」は、1911年に平壤の有力なキリスト教系列の商工業者であるイ・チュンソプ、ペク・ウンヒョン(백응현)、イ・ヨンハ(이영하)たちが中心になって設立された。1921年3月には、組合員60人が10年間、毎月約2 円ずつ貯金した1 万8,000円を資本金として、製造業に着手した(3)。
「平壤農業準備貯金組合」は、1911年に設立された。組合員45人が月に50銭から1、2円ずつ貯金し、1921年8月までに1万8,000円となった。この資金は当初、農業準備のために使うことが目的だったが、方針を変更して「現状で緊急の課題である製造業」の経営に使うことになり、積み立て期限をさらに5 年延期した(4)。
このように平壤地域のキリスト教者たちは、大韓帝国の末期から既に教会のネットワークを生かして様々な貯蓄組合を組織し、これをもって殖産興業を実現する一つの方法にした。そして1920年8月に平壤で「朝鮮物産奨励会」発起人大会を開催したが、これは日本が1910年に韓国併合を行った際に10年間延長した通商条約の効力が満了となる時期でもあった。日本と朝鮮の間で関税の障壁をなくすという統一関税主義に対抗して、民間レベルの保護貿易運動を広げようとしたのである。これは協同組合組織である貯蓄組合が、自強運動(企業設立運動)をさらに物産奨励運動へと発展させた事例の一つだった〔なお、朝鮮物産奨励会は日帝当局や日本人商人からの妨害を受けたため、発起から2 年経った1922年6 月に創立した〕。
貯蓄組合を設立して資本を調達する方法は、続けられた。1921年12月には、金東元(김동원)、曺晩植(조만식)が、平壤YMCAを中心に組合員を組織し、毎月5円ずつ貯金して、朝鮮の産業に必要な会社や組織を設立した。例えば経済振興を促すという趣旨を掲げて、100人限定の組合員で「平壤実業貯蓄組合」を設立し、第1次事業として翌年夏から「大同江」という商号のインクを製造・販売した(5)。また 曺晩植は、1926年10月にキム・ヌンス(김능수)、キム・ビョンヨン(김병연)、ハン・グンジョ(한근조)などと一緒に「平壤節約貯金殖産組合」を創立した。その趣旨は、朝鮮産の物資の生産や購入を奨励するとともに、酒やタバコなど贅沢な浪費品の購入にあてていた金銭を節約・貯蓄して、産業に投資することだった。組合員を100人とし、毎月、1口2円ずつ積み立てていった(6)。
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