第14章 1970年代以降の労働者協同組合運動の軌跡
キム・ヒョンミ
韓国現代史における労働者協同組合運動の範囲
本稿における労働者協同組合とは、「労働組合が結成した協同組合」という次元を超えた、労働者による協同組合運動のことを意味し、ここでは1970~2000年代の軌跡を探求する。この時期、大韓民国では工業化が起きた直後から民主労組運動が始まり、労働者協同組合の結社の自由を保障する「協同組合基本法」が施行された。
労働者協同組合運動は、工業化の弊害(失業、貧困)と、疎外された労働を克服しようとする労働者たちの自覚から始まった。19世紀に産業革命を成し遂げた多くの国では労働者協同組合設立の運動が起き、その経験は後発の工業国へと伝えられてきた。
「産業労働者・熟練工業者・サービス生産者協同組合国際機構(CICOPA)」が定義する労働者協同組合とは、仕事をする人々が企業の株式を51%以上所有し、組合員が1人1票の議決権を行使する事業体である。組合員は、仕事を担うだけでなく、理事を選出し、利益の分配を決定する。
しかし、本稿が扱う時期の韓国では、まだ労働者協同組合が制度として認められておらず、長期にわたって結社の自由も制約されていた。したがって、この時期に試みられた労働者協同組合の実践は、上記の規範的な定義には必ずしも合致しない。例えば、1970年代初頭に、御用労組を民主化して誕生した韓国毛紡の民主労組の事例がある。1973年に経営陣が逃走して会社が不渡りを出し、危機的状態に陥った時、労働組合が中心となって解決対策委員会を立ち上げ、130日間、自主管理を行い、経営を正常化した。そして1975年に元豊産業が事業を引き取るまで、労使共同の経営体制によって賃金を30%引き上げた(1)。ただしこのように、労働組合が中心となった経営体制が一時的に運営されたことだけでは、労働者協同組合とみなすことはできない。それでもこの事例が重要なのは、労働者が引き継いだ企業が、労働者協同組合運動の基本的な性格である「民主的自主管理」(democratic self-management)によって成果をあげたからである。
またこの時期には、倒産した企業を労働者が引き取って自ら経営しようと試みた「労働者引き継ぎ企業」と呼ばれる事例も現れた。1997年に起きた通貨危機の際、倒産した企業を労働者が引き継ぎ、職場を維持しようとした試みは、2000年5月時点で107社あったと把握されている。そのうち、54社は経営が困難であったが、53社はうまくいっていた(2)。このような、労働運動の活動家や労働組合が試みた労働者による企業引き継ぎ運動は、国際的な観点からしても、労働者協同組合運動の一つの柱となった。さらに2005年には、不渡りを出したバス会社を労働者が自主企業に転換し、現在に至るまで経営に成功しているウジン交通の事例がある。もう一つは、主に1990年代に展開された事例として、貧困層の自助、自立、自活をはかるため、労働者によって設立され広まった生産協同組合・生産共同体運動がある。
これらの経験は、1997年の通貨危機以降、政府の政策にも反映され、後述する「国民基礎生活保障法」の制定にも大きな影響を及ぼした。さらにその後、この流れは主として自活運動へとつながっていくが、これもやはり労働者協同組合運動の一つの流れだった。1980年代後半から徐々に誕生していった生産協同組合については多くの先行研究があるので、それに基づき、これらの運動の遺産を検討することは有意義である。
したがって、本稿で労働者協同組合運動として検討する実践例には、労働者自主管理運動、労働者引き継ぎ企業、従業員による株式所有企業、労働者による生産協同組合が含まれる。また、継続的に出資・所有しなくとも、労働組合が企業を自主管理した試みについての事例も含まれる。韓国の現代史では、市民の政治的、経済的、社会的努力が制限されるなかにあっても、労働によって生活のための収入を得るため、人々は起業したり企業を維持したり、あるいは労働の成果を民主的かつ公平に分配しようと、多様な挑戦を続けた。その炎は試行錯誤を重ねながらも消えることなく、2011年12月に協同組合基本法が制定される基礎となった。本稿は、このような労働者協同組合運動の軌跡を探求することを通して、その遺産を明らかにしていく。
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