第15章 消費者生活協同組合の発展と社会的連帯経済
シン・ヒョジン
1.生協のはじまり
「生協」という看板を日常生活のなかで見かけることはあまりないが、「ハンサリム」「自然ドリーム」「トゥレ生協」「幸福中心生協」という名称は、親環境〔環境に優しい〕・有機農産物を求める人々にとっては見慣れたものである。ただし、生協という単語をしばしば聞くことがあったとしても、その実体を把握することは難しい。「生協」とは、消費者生活協同組合法に基づく「消費者生活協同組合」の略語である。だが多くの人々は、生協は環境に優しい農産物を少し安い価格で販売する団体といった程度に理解している。果たして生協とは、単に安価で環境に優しい農産物の流通業者なのだろうか?
絶えず何かを消費するように追いたてる現代社会にあって人々は皆、「消費者に主権は無い」と言う。しかし生協は、生産と消費の両面において消費者主権を全面的に実践しているのだ。生協は、物資とサービスを生産、流通、販売するという点では経済組織であり、こうした経済活動が社会的価値に基づいて行われるという点では社会運動組織の性格を持つ。しかしすべての生協が、環境に優しい食品と安全な食の提供を目的としているわけではない。例えば、医療機関である医療生協は、営利と治療を主目的として運営されている既存の病院とは異なり、予防と健康促進を通して日常の健康管理を支援している(2012年に施行された「協同組合基本法」において、社会的協同組合に関する設立の規定が定められたことにより、医療社会的協同組合に移行したり、新たに医療福祉社会的協同組合として設立されてもいる)。そして、大学生協は教員・学生・職員の福祉を向上するための生協である。本稿では、有機農産物を直接取り引きする運動から始まった消費者生協に焦点を合わせて、その流れを検討する。
ほぼすべての消費者生協は、都市と農村間の交流・協力と、安全な食への関心から始まった。都市の消費者と農村の生産者が協同する生協の枠組みは、1980年代後半から現れ始めた。今日、私たちが見ている生協の原型は、この頃からつくられたといえる。もちろん、生協が突然に登場したわけではない。韓国における近代的な消費者協同組合として、記録で確認できる最初の事例は、1920年の木浦消費組合である(1)。その後、1950年代末まで目立った活動がなかった消費者協同組合だが、1970年代になると農村地域では、農業協同組合(農協)と信用協同組合(信協)による共同購入事業が、限定的ではあるが再び活動を始めた。1970年代中頃以降には、経済成長に伴う消費者層の拡大と、深刻な消費者問題が顕在化する。そして信用事業を行う信用協同組合は、零細な農漁民の生産物を金銭収入に変える方法を模索するようになり、消費者に販売するための協同事業を始めたのである。すなわち1970年代の消費者協同組合は、信用協同組合で購買場〔農漁民が生産したものを信協の組合員が購買するシステム〕事業を実施していた関係者たちが中心となった(2)。
その後、1980年代後半になると、消費だけでなく物品の生産過程まで視野を広げ、生活全体にわたって協同を志向する組織としての生協が登場する(3)。生協は、消費者と生産者いずれか一方だけの利益を代弁したり、あるいは互いに対立的な関係にあるのではなく、協力して共に良い物品を作り、分け、食べることができる関係をつくらなければならないという、今日の共生の構造を早くから志向してきた。化学肥料や農薬に依存して生産されている一般農産物の安全性に問題意識を持った消費者たちは、一般常識とは異なる生協の価値に関心を寄せた。それは、有機や無農薬の農産物など安全な食べ物を生産者と直接取り引き(直取引)することで、生産者は消費者の健康に寄与し、消費者は生産者が持続的に生産できる所得を保証するという価値である。
このように健康な食に重点を置き、都市と農村の共生を目指した努力が実を結ぶ一方、生協では新たな目標を実現するために再び挑戦を始めている。すなわち生協はその活動領域を、協同組合だけでなく国内における社会的連帯経済へと拡大し、「地域社会への関与」(4)を引き受けることはもちろん、国外の協同組合との交流を通して、「協同組合間の協同」が持つ意味を具体化しているのだ。生協が追求する価値が、事業とどのように調和しながら発展してきたのか、その要点を見ていくことは、運動性と事業性を共に維持しながら成長しなければならない他の社会的連帯経済企業にもヒントを提供することになる。過去30年間、生協が積み上げてきた協同の種がどのように花開いたのかを探ってみたい。
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