第9章 原州地域の協同組合運動と生命運動
キム・ソナム
1.協同組合と生命運動
1945年の解放以降、民間主導の協同組合運動は多様な系統の人々によって展開された。実質的には、1950年代後半の準備期を経て、1960年の4.19〔4月革命。民主的改革を求めた市民が、長期政権を目指した李承晩(이승만)政権を打倒した。その後樹立された民主党政権は民主主義を定着させるために努力したが、1961年5月19日朴正煕(박정희)が主導した軍事クーデターによって退陣した〕の時期にカトリック内において胎動した信用協同組合(信協)運動から大きな流れが始まったといえる。現在、韓国社会で活発に展開されている生活協同組合運動は、1960~70年代に信協の付帯事業として運営された購販〔購入・販売〕事業と消費組合運動に由来するという点で、信協運動の発足は民間主導の協同組合運動にとって大きな歴史的意味をもったといえる。
このような初期の協同組合運動の流れと直結し、その特徴をよく表しているところが原州地域である。原州地域は、江原道太白の長省や鉄岩などにあるカトリック教会を中心に、1960年代初めに信協運動が展開された地域である〔「道」は日本の「県」に相当〕。1965年にカトリック原州教区が設置されたことを契機に信協運動が本格的に開始され、1970~80年代には「村落開発運動」と呼ぶ、信協運動と消費組合運動などに基盤を置く協同組合運動が活発に展開された。現在、原州地域で信協運動と「都農農産物直取引〔都市と農村間の農産物産直〕運動」である生協運動など、様々な分野の協同組合運動がどの地域より活発に展開しているのは、このような歴史的ルーツと経験に基づいたものだ(1)。
さらに、1960~80年代の「カトリック原州教区」を基盤とした原州地域の協同組合運動は、「生命の世界観確立と協同的生存の拡張」という、いわゆる「原州報告書」の発表〔1982年〕を通じて生命運動への転換を明らかにしたことからも、大きく注目される。1970年代に胎動した原州地域の協同組合運動は、文明史的洞察を通じて生命運動へと転換されていったのである。つまり原州地域の生命運動とは、近代産業文明に基づいた資本主義と社会主義を超えて、人間と自然が共生する「生命平和共同体」という遠大な代案的社会像を「生活共同体運動」と「生命文化運動」によって実現していこうとした。このように、原州地域の生命運動が1980年代の韓国社会に有機農業運動と都農農産物直取引運動に基盤を置いた生協運動を創出し、生命共同体運動と生命平和運動、命を生かす運動など、名前は異なれど今日の韓国社会に生命運動を展開する思想的・運動的基盤を提供したという点で、その意味は大きかった。
本稿は1950年代末にカトリック界を中心に信協運動が開始される過程と、1965年にカトリック原州教区が創設され、池学淳(지학순)と張壹淳(장일순)を中心に「原州グループ」が形成され、信協運動を中心とした協同組合運動が展開される過程を探る。また、1972年8 月、南漢江流域における大洪水をきっかけに災害対策事業委員会が組織され、「南漢江流域水害復旧事業」の推進や、民間主導の農村開発運動である村落開発運動と協同組合運動が展開される過程について述べる。あわせて、1970年代に生命運動が胎動し転換されていった過程と内容、1984年の「韓国カトリック農民会」を中心とした日本研修の結果として創立された「ハンサリム農産」と「ハンサリム共同体消費組合」、さらに、ハンサリムの精神・文化運動をすすめる組織の「ハンサリムモイム」〔モイムとは集い・会合の意〕結成と「ハンサリム宣言」の内容などを調べながら、1960~80年代の原州地域を中心とした協同組合運動と生命運動について述べることにする。
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