『韓国協同組合運動100年史』翻訳出版 2つの目的
白井和宏
一般社団法人市民セクター政策機構
本書『韓国協同組合運動100年史 Ⅰ、Ⅱ』の日本語訳を電子書籍として出版した一般社団法人市民セクター政策機構は、生活クラブ生協グループの研究機関として1981年に発足した。当初は任意団体で名称は「社会運動研究センター」であったが、以来今日まで協同組合、社会的連帯経済や、政治、食料、環境問題、社会運動など社会的なテーマを設定して、研究活動を続けてきた。この翻訳出版プロジェクトは、当機構が設立40周年を迎えた記念の事業と位置づけ、2020年、多くの方々の協力のもとでスタートしたのである。
当機構が専門的かつ大著の翻訳・出版に取り組む理由について述べるにあたり、生活クラブ生協と韓国の協同組合がどのように出会い、つながりをつくってきたか、さらに現在、認識している課題について最初にお伝えしたいと思う。
1.生活クラブと韓国協同組合との交流の歴史
1983年、韓国信用協同組合との出会い
生活クラブと韓国の協同組合の交流は30年以上も前の1983年に遡る。韓国では1979年に朴正煕大統領暗殺、1980年に光州事件が起きており、民主化前のことである。こうした状況の中でも、韓国では1960年に聖家信用協同組合とカトリック中央信用協同組合が発足して急速に発展し、アジアで最も成功した信用事業の協同組合として高く評価されていた。この当時、生活協同組合は存在しなかったことから、「韓国で生協をつくりたい」と考えた呉益善氏(発安信用協同組合)と李健雨氏(半月信用協同組合)が、野村かつ子氏(海外市民活動情報センター)の紹介で1983年3 月に生活クラブ東京を訪問した。
その12月には信協連合会・京畿道支部と生活クラブ連合会とで「協同組合間提携の推進についての覚書き」、1987年には信協京畿道連合会と生活クラブ連合会とで「今後の提携関係のすすめ方についての確認書」が交わされ、1989年7月からは「第1回日韓定期協議会」が開催された。こうして多数の役職員、組合員、生産者が毎年、互いの国を訪問し、数多くの研修、ホームステイ、まつりへの参加が急激に広まっていった。
さらに1990年には韓国で生協を設立するための「長期研修生」制度が始まり、数多くの信用協同組合の職員が日本に派遣された。今回の翻訳に際して日本語の点検にご尽力いただいた、チュ・ヨンドク氏(1990年、生活クラブ千葉)、チェ・ミンギョン氏(1991年、生活クラブ東京)をはじめとして、十数名の方々が年単位の研修を日本で経験された。
1999年「アジア姉妹会議」が発足―広がる単協・連合会との交流
国際会議の場を通しても交流は広がっていった。1995年に北京で開催された「第4回世界女性会議」のNGOフォーラムを契機に、韓国の「女性民友会」(現・幸福中心生協)と生活クラブとの交流が始まる。台湾の「主婦連盟環境保護基金会」と出会ったのは1992年に香港で行われた「国際消費者機構(IOCU)」大会だった。
1999年には、女性民友会、主婦連盟環境保護基金会、生活クラブ連合会・女性委員会の三者で「韓・台・日女性交流集会」を開催し、以後は、開催国を持ち回り制にして「アジア姉妹会議」を隔年で続けている。
当初は連合会中心の交流だったが、今では単協どうしの交流に広がっている。
・ 1988年~ 生活クラブ千葉=京畿南部トゥレ生協(旧ハンウリ生協)
・1991年~ 生活クラブ東京=住民トゥレ生協
・ 1999年~ 生活クラブ連合会(女性委員会)=幸福中心生協連合会(旧女性民友会)+台湾主婦連盟
・ 2002年~ 生活クラブ北海道=幸福中心ソウル東北生協
・ 2003年~ エスコープ大阪=社会的協同組合・原州協同社会経済ネットワーク
・ 2007年~ 生活クラブ埼玉=ハンサリム城南・龍仁生協
・ 2009年~ 生活クラブ神奈川=パルントゥレ生協
・2010年~ 生活クラブ長野=春川トゥレ生協
・ 2017年~ 生活クラブ連合会(生活クラブ親生会)=トゥレ生協連合会(トゥレ生産者会)
韓国の協同組合と交流しているのは生活クラブだけではない。本書でも紹介されているように、パルシステム連合会、グリーンコープ連合会、コープこうべ、埼玉県勤労者生協、日生協、JCA(協同組合連携機構)、医療生協等が活発な交流を続けてきた。
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