第16章 医療協同組合の過去と現在
パク・ボンヒ
1.健康は誰もが享受すべき権利
社会の経済格差が深刻化し、健康の不平等が拡大することで「不平等な社会が貧しい人を殺す」と警告したのは、イギリスの経済学者・公衆衛生学者リチャード・ウィルキンソン〔Recherd Wilkinson〕である。現代の医療問題は、社会問題と密接に関係しているので、社会問題を解決する努力が伴わなければ、健康を守ることはできない。したがって健康と密接な関係にある社会問題に隣人と共に対応すること。商業化に突き進む医療サービスを公共領域に引き寄せ、誰でも差別なく医療サービスを受けられるようにすること。社会参加によって暮らしの場を健康にしていくこと。まさに、これが市民社会で議論されている住民自治型の医療システムなのである(1)。
貧富に関係なく、すべての人には健康でいる権利があるはずだ。ところが、医療はますます金儲けの手段になっている。「1時間待って3分間の診療」という言葉は、端的にこうした状況を示している。政府による病床規制や医療サービスの供給規制政策はほとんど効果がない。公共病院の割合は10%(2)にも満たないのに、民間の医療機関は病床を拡充し、医療サービスを増やして供給過剰の様相を呈している。こうした過度の競争によって、病床が拡充し、高価な医療設備が導入されたものの、患者1人当たりの医療費が増加し、病院の付帯事業が拡張するといった、歪んだ結果を招いている。そのため、医療の商品化がますます加速しており、医療の公共性を回復することが、かつてないほど重要になっている。
世界保健機関(WHO)は、1978年の「アルマ・アタ宣言」において、「すべての人々の健康水準を向上させるためのプライマリ・ヘルス・ケア戦略」を提案した。以来、地域社会における住民参加は、健康問題を解決する戦略であると同時に、変化への意図を示す代表的な原理になった(3)。
ただし他方で、この戦略を失敗とする評価もある(4)。それでも、韓国の医療協同組合運動は地域社会における住民参加の命脈を保ち、実験を続けている。
医療協同組合運動(5)は、保健医療の代案として出発し、2019年に25周年を迎えた。その端緒となったのは、1987年に、延世大学医学部キリスト教学生会が京畿道の安城で始めた農村での週末診療だった。さらに1994年には農民会と医療関係者が中心になって最初の農民医院が安城で開院した。こうして民間団体によって医療を公共化するという課題に挑戦する医療協同組合運動が始まった。それ以来、医療協同組合は地域社会のなかで信頼される一次医療機関の運営や、保健学校のような予防中心のプログラム運営など、民間による公共性の実現を目指して様々な活動を続けてきた。
現在では全国で医療協同組合の活動が盛んに行われている。組合員に対しては、自らが健康の主人公になることを奨励するだけでなく、隣人の健康状態に気配りすることや、地域社会全体にケアを広げるセーフティーネットに寄与する健康リーダーになることを奨励している。2026年に韓国社会は、高齢者人口が20%を超えて超高齢社会に突入する。すでに2018年6月には、保健福祉部〔「部」は日本の「省」に相当〕の「コミュニティケア」プランが発表された。これは、地域社会の必要性に対応して試みてきた医療協同組合運動の実践を、国レベルでも行う必要があるほど、危機的な時期が到来したことを意味している。急速な高齢化と慢性疾患によって医療費が上昇すれば、国家的災難になりかねないという危機感の現れでもあった。
本稿では、医療の公共性と健康なまちづくりを主要な課題として、地域住民のために公益事業を展開してきた医療協同組合の現場とその実践について述べる。民間レベルで公共医療を担ってきた医療協同組合の歴史と様々な模索、そして世界の医療協同組合の現況を紹介する。医療協同組合運動が始まった時代環境と、彼らの使命感も取り上げる。また、高齢社会への準備のために行われているケアの生々しい現場も紹介しよう。
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