第17章 共同育児協同組合とマウル共同体運動
イ・ギョンナン
1.日常を協働に変える共同育児協同組合
この社会で子どもを産み育てる親は、たちまちつまずく。子どもを持ったとたんに、食べさせ、おむつを替え、あやし、絶え間ない育児に途方に暮れ、おおごとだと気づく。「ワンオペ育児」「孤立育児」という言葉も浸透している。以前の韓国社会では子どもは大家族のなかで育ち、あるいは隣人に助けられながら育った。ところが1980年代以降、女性の就業率が高まり、新たな局面を迎えた。核家族化が進むなかで、夫婦だけで子育て責任を負う育児文化と、「共働き」が主流の生活スタイルになったのだ。
家族構成の激変にもかかわらず、子育てに関する社会認識はあまり変わらなかった。家の外で仕事をする母親は、「子どもは母親が育てるべき」という家父長制的「良妻賢母」イデオロギーに悩まされ、罪悪感に苦しんだ。その結果、女性は仕事と育児、家庭生活をすべて完璧にこなすスーパーウーマンを目指すか、それとも仕事をやめるかと悩み、子どもを持つことや結婚を躊躇するようになった。婚姻率と出生率の低下という必然的結果を前に、「仕事と家庭の両立」や「ワークライフバランス」が社会全体の課題となっている。
こうして「保育」は社会全体で解決すべき「問題」と認識されるようになった。1991年「乳幼児保育法」は、子どもの幸福を語るより、保育問題を解決すべきという問題意識から制定された。政府は保育所をすみやかに増やすため、国や自治体運営ではなく、民間の保育所を増やすことで、需要の高まりに対応する政策をとった。その結果、保育需要は満たされたが営利の論理に振り回されることになった。子どもたちは親がいない日中は保育所で過ごさなければならない。ところが保育所は子どもがいっぱいで、世話をする保育教師〔日本の「保育士」に相当〕は完全に不足していた。保育教師不足のため、子どもたちは自分でやりたいことを探したり遊んだりできず、保育教師が提供するプログラムをこなすだけである。子どもたちは一日中、部屋のなかで過ごすので、外に出て空を見上げ、草に触れたり土の上で足踏みもできない。友だちが帰宅後、残された子どもはぼんやりとテレビを見ながら親が迎えに来るのを待っている。保育の質の問題は深刻にもかかわらず、改善しようとする政府や社会、保育所の努力は不足している。子どもたちが好きなものを食べ、ゆっくり休み、思いっきり飛び跳ね、友だちと交わり、自然と触れあう権利が守られていない。このような問題が生じて30年、現在も未解決である。
現実の厳しさは保育教師にそっくり転嫁されてきた。保育教師は低賃金で、一人でたくさんの子どもを見なければならず、休み時間なしに終日働き、長時間幼い子どもに寄り添い、心身のストレスで苦しんでいる。保育教師は勉強する時間もなく毎日きつい労働に耐えながら、保育所の園長との一方的かつ権威的な関係のなかで働かなければならない。結局、保育教師は尊敬されない職業の一つになってしまった。
1994年に初めて登場した協同組合運営の共同育児保育所は、育児を母親や夫婦だけの仕事とせず、社会共同体が協力すべきとの観点から考案された。親たちが協同組合を構成して保育所をつくり、保育教師を招いて共同で子育てを行った。共同育児保育所は、子どもたちが日常的に散歩し自由に遊びながら、のびのびと成長できる環境を目指した。「共同育児協同組合」は、保育教師と共にその労働条件を改善していった。親たちは孤立育児を脱し、互いに助け合う育児文化をつくりだした。子どもと親、保育教師の日常生活、そして保育という社会サービス領域を変える、新たな協同組合運動が始まった。
協同組合型の保育所は、親と保育教師が参加する民主的で透明な運営方式を編み出した点で、保育の公共性に関する代表事例となった。国公立保育所の質改善や民間保育所、私立幼稚園の不正問題が取り沙汰され、代替案として社会的協同組合型国公立保育所、協同組合型幼稚園、「開かれた保育所政策」などが登場している。これらは過去20年にわたる、協同組合型共同育児保育所の実践による社会認識、保育と幼児教育現場、政策の変化を示す事例である。
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